16歳の建礼門院(平徳子)が12歳の高倉天皇へ女御として入内したのは、天皇の外祖父の地位を狙う清盛の意を受けた清盛の妻・時子と時子の義妹・建春門院(平滋子)との画策によるものであった。 本来であれば女御として入内できるのは摂関家や大臣の姫君…
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