「田舎の日曜日」は1941年フランス・リヨン生まれのベルトラン・タヴェルニエ監督が、まだまだ豊穣であった20世紀初頭のパリ近郊の田舎生を背景に、老いを自覚し始めた父と娘の愛情をきめ細かく描いた1983年の作品である。
1910年代のある日曜日、緑豊かな田舎に住む老画家の家では久しぶりに家族が集って昼食を囲む事になり、朝から台所で大車輪の家政婦を横目に、老画家は息子とその妻、そして孫娘と二人の孫息子を迎えに行くが、老画家は近ごろとみに自分の足が衰えてきたことを実感する。
一行が家に着き、賑やかに家政婦の丹精込めた食卓を囲む時間になっても、老画家が心待ちする娘は姿を見せず、食事を終えシェスタを始めたころになって、彼女は最新型の自動車で現われるが、何度も何度も電話に目をやり落着きが無い。
恋人からの電話が来ないことで苛立つ娘を老画家は自分のアトリエに招じるのだが、娘はアトリエの作品から、かつて風景画で名を成しながらも肉体のの衰えから室内で静物を描かざるを得なくない父の深い悩み知り、大切に仕舞われている数々のショールを見て亡き母に対する父の深い喪失感を知る。
父の悩みを察した娘は父をドライブに誘い、森のレストランでお茶とダンスを楽しみ、湖にボートを浮かべながら、老画家にとっては亡き妻、娘にとっては亡き母の思い出を語り合いながら、二人はそれぞれが抱えている深い孤独感を共有するのだが、家に戻ると娘は待ち望んでいた恋人からの電話でそそくさとパリに向かう。
そんな娘を老画家はそっと見送るのだが、娘に対する父親というものはそっと見守るしかないのだとつくづく感じさせられる。老画家に扮するミシェル・オーモン、思い通りにならない恋に悩む美しい娘に扮するサビーヌ・アゼマ、それぞれに深い悩みを抱えていても、あからさまに互いの心に踏込まない父と娘の情愛を抑えた演技で見事に見せてくれる。
それにしても、澄みきった空気、緑深い木立、黄金色の田園、それらをゆったりと映す鏡のような湖水、ドライブから森のレストラン、湖のボートに至る一連のシーンは、ベルトラン・タヴェルニエ監督が、かつて、パリ近郊の田舎が、どんなに緑豊であったかを、再現したくて組み立てたシナリオではないかと思えるほどだ。
私にとって「田舎の日曜日」は、サビーヌ・アゼマのエレガントな美しさが印象に残る映画でもあった(写真はプログラムから)。