2025-01-01から1年間の記事一覧

80歳の追想(40) アメリカ・カナダ旅行 ⑮ 1986 ニューヨーク タイムズ・スクエア 当日半額チケット売場に並ぶ人々と彼らを取り巻く光景

翌日の朝、遅めに起きた私達がエジソン・ホテルを出ると、タイムズ・スクエアのチケット売り場に並ぶ長い列が目に入った。 興味を抱いた私が、並んでいる中の一人の女性に「何ですか?」と尋ねると、「私達は半額で見たいミュージカル公演の当日券を購入する…

80歳の追想(39) アメリカ・カナダ旅行 ⑭ 1986 ニューヨーク 「オペラ座の怪人は3年先まで売り切れ」と言われ、『Mr.レディ Mr.マダム』を基にした「ラ・カージュ・オ・フォール」を観る

(写真は当時のブロードウェイの劇場上演リスト)。 今回の私達のニューヨーク旅行は3泊の滞在で、主要な目的は、美術館探訪、ニューヨーク証券取引所の見学、そして、当時の日本でも大評判になっていたミュージカル「オペラ座の怪人」を見る事がであった。…

80歳の追想(38) アメリカ・カナダ旅行 ⑬ 1986 ニューヨーク 五番街からの強烈なご挨拶

書店を出た後、私達は、洗練されたカフェの窓際の席に座って、チョコレートケーキと香り高い珈琲で寛いだ。 そして、カフェをでた後で私達が遭遇したのは、荘厳なブラス楽隊に続いて、4人の警官によって掲げられた星条旗、その後に続く黒塗りの霊柩車と制服…

80歳の追想(37) アメリカ・カナダ旅行 ⑫ 1986 ニューヨーク 五番街の書店でチャンドラーとシムノンの本を買う

事前に旅行ガイドブックに○をつけていた五番街のガラス張りの大規模書店に立ち寄った友人と私は、売場の多様な書籍のレイアウトを楽しみ、美術本、写真集、ニューヨーカーやヴォーグなどの雑誌、そして雑誌ニューヨーカーで馴染みの作家の小説などを手に取り…

80歳の追想(36) アメリカ・カナダ旅行 ⑪ 1986 ニューヨーク ブランド品を纏って五番街を闊歩する日本人

初めてニューヨークに行ったのは1986年の5月初めだった。私と友人はニューオリンズのジャズ・フェスティバルを楽しんだ後にケベックを観光し、そして最終地がニューヨークだった。 私達はブロードウェイに面し、タイムズ・スクエアに近い大衆価格のエジ…

80歳の追想(35) アメリカ・カナダ旅行 ⑩ 1986 ケベック 日本人男性ガイドの案内で郊外の大規模市場へ

ケベック滞在最終日に、友人と私は、「パスポートの会」の男性リーダーから紹介されていたケベックで旅行ガイドをしている日本人男性と落ち合った。 ラフなスタイルで現れたその男性は三十代前半で、互いに簡単な自己紹介を終えて、私達は彼の車で、ケベック…

80歳の追想(34) アメリカ・カナダ旅行 ⑨ 1986 ケベック 「マダム、ショッピング・バッグの底が破れていますよ」と声かけられて

友人と私は、ケベック滞在2日目をこの街のランドマークである王城を見学することした。 私達が見学した時の王城はシンプルで古風な佇まいであったが、数年後にはフェアモントグループの傘下で改築されて、フェアモント・ル・シャトー・フロントナックと呼ば…

80歳の追想(33) アメリカ・カナダ旅行 ⑧ 1986 ケベック 古典的なパリの面影を残す街

友人と私は、ケベック滞在初日の夜を、旧市街の小川沿いに立ち並んだレストランの中から選んだフランス料理店で過ごすことにした。 ケベック特有のローカル料理も考えたが、街並みが余りにもフランスっぽく、行き交う言葉がフランス語という雰囲気が、私達の…

80歳の追想(32) アメリカ・カナダ旅行 ⑦ 1986 ケベック フランス語圏で大困惑

友人と私が、初めてケベックに足を踏み入れて実感したことは、徹底したフランス語圏で、殆どの人に英語が通じないと言うことだった。 それに対して私達の唯一のコミュニケーション・ツールは下手な英語しかないのだ。 そこで、最初に困ったことは、ツアー会…

80歳の追想(31) アメリカ・カナダ旅行 ⑥ 1986 ケベック旅行のきっかけ

日本人にケベックという都市がそれほど馴染みの無かった時代に、友人と私がニューオリンズの次の目的地にケベックを選んだのは全くの偶然だった。 私がその頃参加していた、海外旅行好きを集めた異業種交流の「パスポートの会」の席上で、「次のGWに友人と…

80歳の追想(30) アメリカ・カナダ旅行 ⑤ 1986 ニューオリンズ空港 窮地を救ってくれたデルタ航空の男性社員に大感謝

私たちは、大幅な寝坊で空港へのリムジンの到着を遅らせて、私たちが予約便から置き去りにされた原因を作った二人の中年女性への怒りを抑えて、乗り遅れた便のデルタ航空のカウンターに急行して対応を相談した。 そして私達が下手な英語で事情を説明して分か…

80歳の追想(29) アメリカ・カナダ旅行 ④ 1986 ニューオリンズ リムジン相客の大幅寝坊で予約飛行機に乗り遅れる

ニューオリンズを出立する朝、次の目的地のケベック行便の中継空港行きのフライトに乗るために、友人と私はかなりの余裕時間を見積もって、朝早く乗り合いリムジンでホテルを出発した。 私が、リムジンの窓越しに街並みを観察すると、5年ぶりのニューオリン…

80歳の追想(28) アメリカ・カナダ旅行 ③ 1986 ニューオリンズ テラス・ライブで、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「コットン・フィールズ」をリクエストする

ニューオリンズ滞在二日目の昼間、私達はバーボン・ストリートの両側に建つ家々の、繊細なレース編みを思わせる鉄細工のバルコニーを眺めながら街歩きを楽しんだ。 そして、私達が、喉の渇きを癒やそうとカフェを探してショッピング・モールに向かったところ…

80歳の追想(27) アメリカ・カナダ旅行 ② 1986 ニューオリンズ 「ノース・カロライナ」対「サウス・カロライナ」歌合戦

しつこい白人の酔っぱらい中年男にプリザベーション・ホールでの楽しい時間を邪魔された私達は、即座に店を飛び出して夜のバーボン・ストリートをさまよっている内に、あちこちのストリートミュージシャンの音楽やライブハウスからもれ聞こえる音楽に身をゆ…

80歳の追想(26) アメリカ・カナダ旅行 ① 1986 ニューオリンズ 再びプリザベーション・ホール、白人中年男の酔っ払いに邪魔されて早々と店を出る。

1986年のゴールデンウィーク(4月末~5月初め)の連続休暇で私と友人はニューオリンズ~ケベック~ニューヨークを旅行した。 1981年以来5年ぶりのニューオリンズは、前回と同じく恒例のジャズ・フェスティバルを楽しむ事が目的であった。 さて、…

80歳の追想(25) シンガポール旅行 ③ 1983年 ラッフルズ・ホテルでアフタヌーン・ティー体験会に参加、 英国貴族の優雅さへの遠い距離

シンガポール滞在二日目は、1887年創業の歴史あるシンガポールの名門老舗ホテル、ラッフルズ・ホテルでのアフタヌーン・ティー体験会に参加した。 「アフタヌーン・ティー」は、英国統治時代のイギリス上流階級が、植民地のシンガポールに持ち込んだ生活文化…

80歳の追想(24)シンガポール旅行 ② 1983年 ヒルトンホテル内ブランドショップ ブランドロゴの大きい商品から買い漁る日本人客

何と言ってもシンガポールの中心街はオーチャード通りということで、私と友人は散策に出かけた。 確かに広い大通りは清潔で歩いていて心地よい。しかし、こんもりと緑の繁る木立の中に、一匹の蚊も見あたらないのは余りにも人工的で私としては若干興ざめだっ…

80歳の追想(23)シンガポール旅行 ①1983年 チャンギ国際空港 タックスヘイブンで世界中の金持ちを引寄せる玄関 あの、ジム・ロジャースも

シンガポールのチャンギ国際空港に降り立った私は、鮮やかな色彩と機能的な構内の設計に強い印象を受けた。歩いているだけで心が弾む。何しろ、数時間前に私が発った広大で無機質で洗練からほど遠い成田国際空港とは大きく異なっていたから。 もっとも、千葉…

80歳の追想(22)アメリカ旅行 ㉒ 1981 ボストン ビーコンヒル  ボストン滞在を夢見させてくれた街

私と友人が滞在したホテルからほどよい距離に富裕層の住宅街であるビーコンヒルがある。 私達はビーコンヒルの歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気が気に入り、適度な傾斜を帯びたレンガ舗装の並木道を何度も往き来した。 そんな中でひっそりとした佇まいのカ…

80歳の追想(21)アメリカ旅行 ㉑ 1981 ボストン リッツカールトン・ホテルのラウンジ 「エッ、今日からサマータイム!!」

ボストン滞在2日目の夜の、私たちのスケジュールは教会の地下ホールで19時から催されるジャズ演奏会に行くことだった。 それは、前日に、クィンシー・マーケットのチケット売り場で前売り券を購入していたので、演奏会前の夕食はホテルの贅沢な雰囲気の中…

80歳の追想(20)アメリカ旅行 ⑳ 1981 ボストン クインシー・マーケット ブランド・ショップでマスターカードを拒否されて

ボストン到着翌日の午前中に、ローガン国際空港で受け取れなかった預け手荷物が届いたので、一安心した友人と私は、滞在ホテル近くのクインシー・マーケットに足を運んだ。 特に買いたい物があったわけでは無いが、広い敷地に様々な品を扱う店を見るだけでも…

80歳の追想(19)アメリカ旅行 ⑲ 1981 ボストン 忘れ難い1826年創業の「ユニオン・オイスター・ハウス」

ローガン国際空港で預け手荷物を受け取れなかった私と友人は、ホテル到着後に、間に合わせの着替えや洗面用具などを買うためにダウンタウンに出かけた。 ボストンのダウンタウンのショッピングセンターは、なかなか洗練されていて見て歩くだけでも退屈しなか…

80歳の追想(18)アメリカ旅行 ⑱ 1981 ローガン国際空港 預け手荷物未着への無責任対応スタッフに、怒りの「Disgust!」

友人と私の1981年春のGolden Weekのアメリカ旅行は、ナッシュビル、ニューオリンズを経て最終地はボストンだった。 そして、ボストンのローガン国際空港に到着した私達を待ち受けていたのは、預け手荷物未着という予想外の出来事だった。いくら待っても…

80歳の追想(17)アメリカ旅行 ⑰ 1981 ニューオリンズ プリザベーション・ホールと伝説のピアニスト「スウィート・エマ」

入場料$1ドルで世界中のジャズ・ファンに知られた「プリザベーション・ホール」は、フレンチ・クオーターの中心に位置し、デキシーランド・ジャズを専らとするライブ・ハウスであった。 入場料が安すぎる上に、予約や前売り券の仕組みがないので、私と友人…

80歳の追想(16)アメリカ旅行 ⑯ 1981 ニューオリンズ  フレンチ・クオーターは音楽の渦 

1981年のGWに友人と私は世界中のジャズ・ファンが集まる「ジャズ・フェスティバル」を体験するためにニューオリンズを訪れた。 そして、夕方近く、私たちが、投宿先のフレンチ・クオーターにあるスペイン風ホテルの2階で横になって長旅の疲れを癒やし…

80歳の追想(15)アメリカ旅行 ⑮ 1981 ナッシュビル  ブーツ・ランドルフのライブ

今回のナッシュビル訪問の主たる目的は、ここに自分のクラブを設けて活躍するテナーサックス奏者のブーツ・ランドルフのライブを聴くことにあった。 当時の私は深夜にFMラジオから流れるムードミュージックを聴いていて、特にアメリカカ南部の気だるく大人…

80歳の追想(14)アメリカ旅行 ⑭ 1981 ナッシュビル  ラジソン・ホテル 女性バーテンダーのお持てなし

ナッシュビル空港では「welcome to music city」の大きな横断幕が到着客を迎えてくれた。 しかし、私達の頭の中は、日本を出発して以来の長旅だけでなく、アトランタ国際空港の入国審査官の不快な対応による疲れと、喉の渇きを癒す事で占められていて、宿泊…

80歳の追想(13)アメリカ旅行 ⑬ 1981 アトランタ国際空港  入国審査官の疑惑の目

1981年の4月末、私はアトランタ国際空港の入国審査で呆然と立ちつくしていた。 入国目的を「sight seeing」と何度繰り返しても、審査官は、私が差し出したナッシュビル→ニューオリンズ→ボストンの旅程表と滞在ホテルリストに繰り返し目をやりながら疑い…

80歳の追想(12)アメリカ旅行 ⑫ 1981 在日アメリカ大使館

当時私が定期購読していた音楽雑誌「週刊FMファン」は、世界中のジャズ・ファンを引き寄せて毎年4月末から5月初旬にかけて催される、ニューオリンズのジャズフェスティバルをカラフルな写真つきで特集していた。 その特集記事の中でも、入場料$1で人気…

80歳の追想(11)アメリカ旅行 ⑪ 1979 メキシコ・ティファナ 価格交渉は筆談で

私と友人は、ロサンゼルス滞在中に、現地の観光会社が主催する、ティファナの一日観光に参加した。 ティファナはメキシコ合衆国の最北端、アメリカ合衆国との国境沿いにあるバハ・カリフォルニア州の最大の都市である。 ロサンゼルスからバスで片道4時間くら…