2025-01-01から1年間の記事一覧

80歳の追想(25) シンガポール旅行 ③ 1983年 ラッフルズ・ホテルでアフタヌーン・ティー体験会に参加、 英国貴族の優雅さへの遠い距離

シンガポール滞在二日目は、1887年創業の歴史あるシンガポールの名門老舗ホテル、ラッフルズ・ホテルでのアフタヌーン・ティー体験会に参加した。 「アフタヌーン・ティー」は、英国統治時代のイギリス上流階級が、植民地のシンガポールに持ち込んだ生活文化…

80歳の追想(24)シンガポール旅行 ② 1983年 ヒルトンホテル内ブランドショップ ブランドロゴの大きい商品から買い漁る日本人客

何と言ってもシンガポールの中心街はオーチャード通りということで、私と友人は散策に出かけた。 確かに広い大通りは清潔で歩いていて心地よい。しかし、こんもりと緑の繁る木立の中に、一匹の蚊も見あたらないのは余りにも人工的で私としては若干興ざめだっ…

80歳の追想(23)シンガポール旅行 ①1983年 チャンギ国際空港 タックスヘイブンで世界中の金持ちを引寄せる玄関 あの、ジム・ロジャースも

シンガポールのチャンギ国際空港に降り立った私は、鮮やかな色彩と機能的な構内の設計に強い印象を受けた。歩いているだけで心が弾む。何しろ、数時間前に私が発った広大で無機質で洗練からほど遠い成田国際空港とは大きく異なっていたから。 もっとも、千葉…

80歳の追想(22)アメリカ旅行 ㉒ 1981 ボストン ビーコンヒル  ボストン滞在を夢見させてくれた街

私と友人が滞在したホテルからほどよい距離に富裕層の住宅街であるビーコンヒルがある。 私達はビーコンヒルの歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気が気に入り、適度な傾斜を帯びたレンガ舗装の並木道を何度も往き来した。 そんな中でひっそりとした佇まいのカ…

80歳の追想(21)アメリカ旅行 ㉑ 1981 ボストン リッツカールトン・ホテルのラウンジ 「エッ、今日からサマータイム!!」

ボストン滞在2日目の夜の、私たちのスケジュールは教会の地下ホールで19時から催されるジャズ演奏会に行くことだった。 それは、前日に、クィンシー・マーケットのチケット売り場で前売り券を購入していたので、演奏会前の夕食はホテルの贅沢な雰囲気の中…

80歳の追想(20)アメリカ旅行 ⑳ 1981 ボストン クインシー・マーケット ブランド・ショップでマスターカードを拒否されて

ボストン到着翌日の午前中に、ローガン国際空港で受け取れなかった預け手荷物が届いたので、一安心した友人と私は、滞在ホテル近くのクインシー・マーケットに足を運んだ。 特に買いたい物があったわけでは無いが、広い敷地に様々な品を扱う店を見るだけでも…

80歳の追想(19)アメリカ旅行 ⑲ 1981 ボストン 忘れ難い1826年創業の「ユニオン・オイスター・ハウス」

ローガン国際空港で預け手荷物を受け取れなかった私と友人は、ホテル到着後に、間に合わせの着替えや洗面用具などを買うためにダウンタウンに出かけた。 ボストンのダウンタウンのショッピングセンターは、なかなか洗練されていて見て歩くだけでも退屈しなか…

80歳の追想(18)アメリカ旅行 ⑱ 1981 ローガン国際空港 預け手荷物未着への無責任対応スタッフに、怒りの「Disgust!」

友人と私の1981年春のGolden Weekのアメリカ旅行は、ナッシュビル、ニューオリンズを経て最終地はボストンだった。 そして、ボストンのローガン国際空港に到着した私達を待ち受けていたのは、預け手荷物未着という予想外の出来事だった。いくら待っても…

80歳の追想(17)アメリカ旅行 ⑰ 1981 ニューオリンズ プリザベーション・ホールと伝説のピアニスト「スウィート・エマ」

入場料$1ドルで世界中のジャズ・ファンに知られた「プリザベーション・ホール」は、フレンチ・クオーターの中心に位置し、デキシーランド・ジャズを専らとするライブ・ハウスであった。 入場料が安すぎる上に、予約や前売り券の仕組みがないので、私と友人…

80歳の追想(16)アメリカ旅行 ⑯ 1981 ニューオリンズ  フレンチ・クオーターは音楽の渦 

1981年のGWに友人と私は世界中のジャズ・ファンが集まる「ジャズ・フェスティバル」を体験するためにニューオリンズを訪れた。 そして、夕方近く、私たちが、投宿先のフレンチ・クオーターにあるスペイン風ホテルの2階で横になって長旅の疲れを癒やし…

80歳の追想(15)アメリカ旅行 ⑮ 1981 ナッシュビル  ブーツ・ランドルフのライブ

今回のナッシュビル訪問の主たる目的は、ここに自分のクラブを設けて活躍するテナーサックス奏者のブーツ・ランドルフのライブを聴くことにあった。 当時の私は深夜にFMラジオから流れるムードミュージックを聴いていて、特にアメリカカ南部の気だるく大人…

80歳の追想(14)アメリカ旅行 ⑭ 1981 ナッシュビル  ラジソン・ホテル 女性バーテンダーのお持てなし

ナッシュビル空港では「welcome to music city」の大きな横断幕が到着客を迎えてくれた。 しかし、私達の頭の中は、日本を出発して以来の長旅だけでなく、アトランタ国際空港の入国審査官の不快な対応による疲れと、喉の渇きを癒す事で占められていて、宿泊…

80歳の追想(13)アメリカ旅行 ⑬ 1981 アトランタ国際空港  入国審査官の疑惑の目

1981年の4月末、私はアトランタ国際空港の入国審査で呆然と立ちつくしていた。 入国目的を「sight seeing」と何度繰り返しても、審査官は、私が差し出したナッシュビル→ニューオリンズ→ボストンの旅程表と滞在ホテルリストに繰り返し目をやりながら疑い…

80歳の追想(12)アメリカ旅行 ⑫ 1981 在日アメリカ大使館

当時私が定期購読していた音楽雑誌「週刊FMファン」は、世界中のジャズ・ファンを引き寄せて毎年4月末から5月初旬にかけて催される、ニューオリンズのジャズフェスティバルをカラフルな写真つきで特集していた。 その特集記事の中でも、入場料$1で人気…

80歳の追想(11)アメリカ旅行 ⑪ 1979 メキシコ・ティファナ 価格交渉は筆談で

私と友人は、ロサンゼルス滞在中に、現地の観光会社が主催する、ティファナの一日観光に参加した。 ティファナはメキシコ合衆国の最北端、アメリカ合衆国との国境沿いにあるバハ・カリフォルニア州の最大の都市である。 ロサンゼルスからバスで片道4時間くら…

80歳の追想(10)アメリカ旅行 ⑩ 1979 サウサリート フェリーの船上でリクルートされ

私と友人はサンフランシスコの船着き場からフェリーに乗って、ゴールデンゲート海峡の対岸にあるサウサリートに向かった。 当時の日本では、サウサリートは余り知られていなかったが、ガイドブックの「引退した高級官僚が住む高級住宅地で、洗練されたブティ…

80歳の追想(9)アメリカ旅行 ⑨ 1979 サンフランシスコ 美しい男達が集まるゲイの街 カストロ通り

私と友人はお洒落をして颯爽とバスに乗ってカストロ通りに出かけた。 サンフランシスコの中でも高級住宅地として知られるこの地域は、丁度日暮れ時で、柔らかな光と影に包まれた通りでは、多くのカップルが互いの腰に優しく腕を回して歩き、また、洒落たカフ…

80歳の追想(8)アメリカ旅行 ⑧ 1979 カリフォルニア大学バークレー校

私と友人がカリフォルニア大学バークレー校に足を運んだのは、私が大好きだったジョニ・ミッチェルが作詞作曲し、バフィー・セントメリーが歌って大ヒットした「サークル・ゲーム」を主題歌とした映画「いちご白書」の雰囲気を味わいたかったからだ。 映画「…

80歳の追想(7)アメリカ旅行 ⑦ 1979 サンフランシスコ   ホテル・カリフォルニアのダイナーの朝食風景

今回のサンフランシスコでの宿泊は、日本での西海岸旅行ガイドブックの中から、当時大流行していて、私が大好きなイーグルスの歌のタイトルと同じ「ホテル・カリフォルニア」を選んだ。 このホテルは星が付いていないので価格が割安で、しかも、ダウンタウン…

80歳の追想(6)アメリカ旅行 ⑥ 1979 ロスアンゼルス→サンフランシスコ   つかの間のファーストクラス 

1979年のGWに、友人と私は中華航空の成田~ロスアンゼルス間の格安往復チケットを活用して2度目の西海岸旅行に出かけた。 そして、ロスアンゼルスのホテルに手荷物を預けて、翌日のサンフランシスコ便の確認のために旅行会社に立寄ったのだが、スタッ…

80歳の追想(5)アメリカ旅行 ⑤ 1978 ハワイ  「PLAYBOY」ショップ店主の警告 今も現役・椰子殻のお盆

1977年末にスタートした私たちのアメリカ西海岸パックツアーでの最終地ハワイ入りは年が変わって1978年になっていた。 ハワイ滞在は2泊であったが、私たちは、コダック・スタジアムでの大規模なフラダンスショーや、レストランでの管弦楽と踊りを伴…

80歳の追想(4)アメリカ旅行 ④ 1977 ロサンゼルス ダウンタウンのバス乗り場とディズニーランド

ロスアンゼルス滞在のお目当てのディズニーランドは、パック旅行のオプショナルに含まれていたが、自分たちのペースで心ゆくまで堪能したいと私達は独自にグレイライン・バスでゆく事にした。 ところでダウンタウンのバス乗り場は、埃とポリ袋が舞い散るゴミ…

80歳の追想(3)アメリカ旅行 ③ 1977 サンフランシスコ  梃子でケーブルカーの向きを変えるのを手伝ったなあ!!

サンフランシスコではわずか2泊の滞在だったが、宿泊したサー・フランシス・ドレイクホテルの入口がケーブル・カーの停車場に面していたので、友人と私は衝動に駆られて到着したケーブル・カーに目的もなくヒョイと乗り、デッキから坂道の多い街並を眺める…

80歳の追想(2)アメリカ旅行 ②1977 サンフランシスコ  フィッシャーマンズ・ワーフの小エビの背ワタ

シーフード大好きの友人と私にとって、サンフランシスコ湾に面したフィッシャーマンズ・ワーフは何をさしおいても足を運びたい所であった。何しろ目の前の海から水揚げされたばかりの魚介が、ダイレクトにレストランのキッチンに運ばれて客に饗されるのだか…

80歳の追想(1)アメリカ旅行 ①1977 サンフランシスコへ 雲上の年越し蕎麦

私の初めての海外旅行は、1977年の年末年始休暇を利用して友人と参加した「アメリカ西海岸とハワイ」のパックツアーだった。 これは当時、アメリカ西海岸、つまり、ウエスト・コースト・ミュージックが日本を席巻していた事、そして円・ドルレートが年初…