初めてニューヨークに行ったのは1986年の5月初めだった。私と友人はニューオリンズのジャズ・フェスティバルを楽しんだ後にケベックを観光し、そして最終地がニューヨークだった。
私達はブロードウェイに面し、タイムズ・スクエアに近い大衆価格のエジソンホテルに荷物を預けて、ケベックで買いたての革ジャンパーに着替えて颯爽と五番街に繰り出した。
何と言ってもニューヨークの五番街、さすがに世界中から富と才能豊かな人々が集中するところ、華やかな通りでは国籍も肌の色も異なる多様な人々が行き交っていた。
そして、街頭に出店している屋台からは、ホットドッグ、ベーグル、そしてプレッツェルの香ばしい香りが漂って私達の鼻腔をくすぐった。
しかし、最初の興奮が収まり、眼が慣れてくると、全身を高価なブランド品で装って闊歩する人たちの多くが日本人である事に気がついた。
ティファニーに至っては、店内のショーケースで品定めをしているのは日本人しか見当らず、さながら「ティファニーを占拠する日本人」の様相を呈していた。
それに引きかえ、同じ日本人でありながら、しがないOL(今は死語か)の友人と私は、ティファニーで高価なジュエリーを購入する余裕は無く、金ピカのトランプタワー内の大衆的なアクセサリー店で、プチペンダント付きの細い18金チョーカーを購入するのが精々であった。
ニューヨークは「ビッグ・アップル」と呼ばれていた。