80歳の追想(32) アメリカ・カナダ旅行 ⑦ 1986 ケベック フランス語圏で大困惑

 

友人と私が、初めてケベックに足を踏み入れて実感したことは、徹底したフランス語圏で、殆どの人に英語が通じないと言うことだった。 

それに対して私達の唯一のコミュニケーション・ツールは下手な英語しかないのだ。

 

そこで、最初に困ったことは、ツアー会社を通して予約してもらった、小さな宿泊ホテルの従業員が全く英語を解さないことだった。 

 

次に困ったことは、ホテルの部屋の備え付けのテレビがフランス語のみで、天気予報も地元の情報も全くキャッチ出来ない事だった。

 

地理的には、ケベックは日本の北海道の稚内と同じ緯度で、寒くて春は遅く、特に私達が滞在した時期の天候は変わりやすかったが、天気予報をキャッチするのも一苦労だった。

 

さらには、二日後にケベックを出立するフライトの運行情報もフランス語のテレビではキャッチできず、実際に空港に行ってみないと分からないので心細かった。

 

だからといって、たった2泊のために英語が通じるインターナショナルなチェーンホテルに変更するのも面倒だった。何しろ英語の通じない宿泊ホテルのスタッフと変更手続きの交渉をすること自体が難儀だった。

 

というわけで、私達が心がけることにしたのは、街中で道に迷わない事だった。もし私達が、この街で道に迷うと、文字通り「路頭に迷う」しか無いのだから。

 

しかし、街はしっとりと落ち着いて、古典的な建物群は気品に満ちて、どこまでも歩き続けたい魅力にあふれていた。で、友人と私は気ままに歩き続けたのだった。

ただし道に迷わないように細心の注意を払って。