新古今の周辺(3)鴨長明(3) 青年歌人 『鴨長明集』

鴨長明は28歳と思われる頃自作の歌を中心に115首を収めた『鴨長明集』を編んでいる。そこで『鴨長明と寂蓮』(小林一彦 笠間書院)を引用して14首【現代語訳付】を採りあげ青年期の長明の心情を推し量ってみたい。


春しあれば今年も花は咲にけり散るを惜しみし人はいづらは
【春になると去年までと同じように、今年も桜の花は咲いたのだな。それなのに、散るのを惜しんだ人はどこへ行ってしまったのだろうか。今はもう、この世にいないのだ】


桜ゆゑ片岡山(かたおかやま)に臥(ふ)せる身も思ひし解(と)けばあはれ親なし
【私は飢えて行き倒れたのではない。桜の美しさにひかれて、片岡山に身を横たえたのだ。でも、よくよく考えてみると、ああ、私も親のいない、みなし子だったのだ】


杉の板を仮りにうち葺く寝屋(ねや)の上にたぢろくばかり霰(あられ)ふるなり
【杉板をかりそめにちょっと葺いただけの寝室の上に、板がたじろぎ、下で寝ている私も尻込みするくらいに音を立てて霰が降っている】


住みわびぬいざさは越えむ死出の山さてだに親の跡をふむべく
【この世に生きているのがいやになった。よし、それならば、いっそ父の後を追って死出の山を越えてしまおう。そうしてはじめて自分は親の歩んだ道をたどることが出来るのだ】


する墨をもどき顔にも洗ふかな書くかひなしと涙もしるや
【告白しようと思って、墨をすっているのだけれども、そのことをとがめるようにこぼれ落ちる涙が墨を洗い流してしまう。おまえなんか恋文を書いても無駄だよ、どうせふられるのだから、と涙も知っているのだろうか】


待てしばしもらしそめても身の程(ほど)を知るやと問(と)はばいかが答へむ
【ちょっと待てよ。うっかり思いをうち明けてみても、「あなたは自分の身の程をご存じないのかしら?」と逆に聞かれたら、どう返答しよう。そうなったら何も言えない】


憂き身には絶えぬ思ひに面(おも)なれてものや思ふと問(と)ふ人もなし
【辛いことが多い身の上には、絶えることのない悩みのせいで、いつでもふさぎ込んでいる私の顔に、まわりも馴れてしまい、私が恋わずらいに沈んでいても、もしや恋の悩みでは、と尋ねてくれる人もいない】


忍ばむと思ひしものを夕ぐれの風のけしきにつひに負けぬる
【がまんしようと思っていたのでしたが、夕暮れ時の風の気配に、こらえきれずにお手紙を差し上げてしまいました】


うちはらひ人通ひけり浅茅原(あさじはら)ねたしや今夜(こよひ)露のこぼるる
【露をうち払いながら、誰かが通っていったのだ、この浅茅原を。妬ましいなあ、嫉妬でますます彼女と共寝したいという思いにかられて、涙の露がこぼれ落ちるよ。恋仇(こいがたき)が先に露を掻き分けた道は、露がこぼれないはずなのに】


よそにのみ並ぶる袖のぬるばかり涙よとこの浦づたひせよ
【男女の関係がないまま無関係に敷き並べる袖が、寝るではないが、涙で濡れるばかりだ。涙よ、鳥籠(とこ)の浦の入り江を伝うように、こちらの袖の浦から相手の袖の浦へと伝って思いを伝えて欲しい】


頼めつつ妹(いも)を待つまに月影を惜(お)しまで山の端(は)にぞかけつる
【私に期待させながら、現れない恋人を待っている間に、山の稜線に月がかかるまで、長い時間を無駄に過ごしてしまった。彼女は来ないし、それに加えて、もう美しい月をめでることさえできなくなってしまった】


そむくべき憂き世に迷ふ心かな子を思ふ道はあはれなりけり
【背くのがよい、背かなければならない憂き世に、いつまでもまよう心であるよ。子どものことを思う親の心というものは、どうすることもできないのだなあ】


花ゆゑに通(かよ)ひしものを吉野山こころぼそくも思ひたつかな
【昔は花見のために通ったのになあ、吉野山へ。頼りなくも、桜への思いを断ち切って隠棲しようと決心したことだよ】


あれば厭(いと)ふそむけば慕(した)ふ数ならぬ身と心との仲ぞゆかしき
【この身が俗世にあれば心はそれを厭い避けようとする、かといって世間を離れてみると今度は心がこの身を離れまいと慕ってくる。取るに足りないわが身とわが心との関係を知りたいものだよ】


これらの歌は長明が父・長継の死により家職を失い孤児同然の境遇の中で、「失意」「自殺願望」「実らぬ恋」「世捨て願望」を率直に詠い込んだもので、時空を超えて今の私たちの胸に切々と迫って来る。

また、これらの青年期の長明の歌と
新古今和歌集10首入集」(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20141001)の長明の歌を比較する事で、後鳥羽院の和歌所寄人に召されて、藤原定家、寂蓮・源通親藤原家隆藤原有家など錚々たる雲客月卿(※1)歌人に交じって、唯一の地下人(※2)歌人として彼らに同化しようと、技巧を重ねた芸術至上主義的作風を打ち出すことに奮闘した長明の姿が偲ばれるのである。


(※1)雲客月卿(うんかくげっけい):殿上人や公卿
(※2)地下人(じげにん):公家・殿上人以外の官位のない賎しい者


参考文献:『鴨長明と寂蓮』 小林一彦 (笠間書院