『撰歌合』は建仁元年(1201)8月15日夜に和歌所にて催された後鳥羽院主催の歌合で歌人は判者の釈阿(俊成)を含め25人、双方の難陳が記され判詞は簡略であった。
歌題は、「月多秋友」「月前松風」「月下擣衣」「深山暁月」など月にまつわる結題10首で、その中から100首を選んで50番の歌合に仕立て、この歌合から13首が『新古今和歌集』に入集している。
ところで後鳥羽院は殊に結題(4字句題とも)に執心したと伝えられるが、結題は通常の歌題に比して、題として含まれる内容が多いので、どのように詠み込むかが問われることになる。
そこで「深山暁月」を例に結題がどのように詠まれたかを見てみたい。
三十三番 左持(引分) 俊成卿女
秋の夜の深きあはれをとどめけり吉野の月の有明の空
俊成卿女の歌は「深き」に「深(山)」を感じさせる工夫を凝らし、後に『新勅撰集』(三百六十九番)に入集しているが、この歌合では「殊なることなし」、工夫が足りないと引分けになっている。
三十番 左負 後鳥羽院
住みなれてたれ我が宿とながむらん吉野の奥に有明の月
後鳥羽院の歌に対しては「深山ただ思ひやるばかりなり、同じくは、われ住みて見んや、まさるべくはべらん」との辛辣な判詞で負けとなっている。体験に基づかないで深山をただ想像しているだけでは深みが足りないということであろう。
三十一番 左持(引分) 左大臣良経
深からぬ外山の庵の寝覚めだにさぞな木の間の月は寂しき
良経の歌は後に『新古今和歌集』(秋下・三百九十五)に採られているにもかかわらず、この歌合では「左右殊なる事なし」との判詞で引分だった。
因みに引分けた右方の歌は
人は来て真木の葉分けの月ぞ漏る深山の秋の有明の空
と、なるほど、平板な歌であった。
三十五番 左勝 鴨長明
夜もすがらひとりみ山の真木の葉にくもるもすめる有明の月
長明の歌は第四区の「くもるもすめる」を「曇っているが(むしろそれだからこそ)澄んでいる」の意に用いた工夫が評価されたようだ。当時の歌壇では「真木の葉ごしの月こそ『あはれ』の極み」という認識があり、それを汲み上げたのかも知れないが、この歌は後に「『新古今和歌集』(雑上・一千五百二十三)に入集している。
参考文献:『国文学〜古今集・新古今集』2004年11月号(學燈社)
『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版