次は新古今時代の斬新な一面を知る上で貴重な「海辺秋月」の題詠歌を採り上げたい。
『撰歌合』からこの「海辺秋月」の題詠が11首選ばれただけでなく、さらにその11首から3首が『新古今和歌集』に入集している。
先ずは『新古今和歌集』(秋上・四〇一番)に入集した鴨長明の次の歌から。
二十一番 左勝 鴨長明
松島や潮くむ海人の秋の袖 月は物思ふならひのみかは
長明はこの歌で「海」と「月」の題を結びつけるために「月の宿る海人の袖」を設定し、その袖がどういう袖かを意味づけるために次の2首から本歌取りをしている。
(古今集 恋五・七五六 伊勢)
あひにあひて 物思ふころのわが袖に 宿る月さへ 濡るる顔なる
(後拾遺集 恋四・八二七 原重之)
松島や 雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず
この歌で長明は下句の「月は物思ふならひのみかは」で、「月は物を思って涙に濡れた人の袖だけでなく、秋になると波に濡れた海人の袖にも宿る」との意を込めて、これまでの和歌では見られなかった海人の袖を詠み込むという斬新さを打ち出している。
さらに奨めて、長明同様に海人の袖を詠んだ宮内卿と二条院讃岐の歌をみてみたい。
十八番 左勝 宮内卿
心ある雄島の海人の袂かな 月宿れとは濡れぬものかは
後に『新古今和歌集』(秋上・三九九)に採られた宮内卿のこの歌は、「心ある雄島の海人の袂かな」と海で働く海人を「心ある存在」と明確に設定して、長明より一歩進めて働く海人を意志を持った主体的な存在として描いている。
二一番 右負 二条院讃岐
松島や雄島の海人も心あらば 月にや今宵袖ぬらすらん
この二条院讃岐の歌は『撰歌合』で長明と番って負けになっているものの、やはり海人の袖に焦点を当てて「海人もこころあらば」と詠っているが、宮内卿の「心ある雄島の海人の袂かな」よりは曖昧な存在として描いている。
そういえば、それまでは宮廷貴人が描かれてきた絵巻物に初めて働く人や市井の庶民が登場したのは、後白河院がパトロンとして描かせた「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」であった。(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20071122)
そして、長い間宮廷人や僧を歌の対象にしてきた和歌の世界に、初めて働く庶民が詠われる対象として登場したのは後鳥羽院の時代である。