後白河院と寺社勢力(71)渡海僧(15)道元 1 典座大切

 「仏家に、もとより六知事あり」で始まる道元の『典座教訓』は、禅寺(曹洞宗)運営管理に携る六つの役職の中から、食事・湯茶を管掌する典座(てんぞ)を取り上げ、その心構え、仕事に臨む姿勢といった精神的なものから、米の研ぎ方、仕事の手順、食材の扱い方、食膳の整え方に至る手順を記した手引書である。

 因みに他の役職には、総監督の都寺(つうす)、事務長の監寺(かんす)、会計・出納の副寺(ふうす)、雲水の監督・指導の維那(いの)、伽藍の整備や田畑・山林を管理する直歳(しっすい)があり、現在の私たちが使っている知事は禅から由来したものと思われる。

 ところで、道元が『典座教訓』を著すきっかけとなったのは、若かりし日の彼に大きな衝撃と影響を与えた二人の老典座であった。

 その一人は、貞応2年(1223)道元24歳の5月、明州慶元府の港で待てど暮らせど降りてこない天童山の入山許可を待つ船において、日本商船入港の噂を聞きつけ、端午の節句に供する麺汁のだしに日本の椎茸を使おうと買いにきた阿育王山の典座であった。

 阿育王山は南宋五山の一つに数えられる大陸の霊地であるから、道元はご馳走するから一晩ゆっくり語り合わないかと老典座に誘いかけたが、彼は明日の供養の支度があるから今すぐ戻らないと間に合わないと行ってしまう。

 そのやりとりを道元は『典座教訓』に次のように記している。

「あなたはずいぶんお年を召しているのになぜ坐禅弁道や修行をしないで、こうした煩わしい典座の仕事に励んでいるのか。それで何か良いことでもあるのですか」と私が典座に聞くと、彼は大笑して「外国の青年よ、君はまだ弁道とは何かを理解せず、文字とは何かを知得していないよ」と言った。

 私は彼の言葉に驚きうろたえ「文字とはどういうものですか。弁道とはどういうものですか」と聞くのが精一杯だったが、彼は「もし君がその問うところをあやまっていなければ望み無きにしもあらずだがね」と云い、まだわからないようならそのうち阿育王山でも来るがよいと言って立ち去った。

 
 その二ヶ月後、入山許可が降りて道元がやっと足を踏み入れた天童山景徳寺にあの典座が帰郷の途次にと彼を訪ねてきた。その場面の『典座教訓』の記述は簡潔で、

「文字を学ぶ者は文字の故を知ろうとし、弁道する者は弁道の故を納得しようとするであろうね」と典座は云い、「文字とは何ですか」と聞く道元に「12345』と典座は答え、「弁道とは何ですか」と道元が問えば「徧界不曽蔵」と答えた。

 それだけである。ホント、禅問答の見本だ。
 因みに『道元典座教訓』藤井宗哲訳・解説によれば「徧界不曽蔵」を「宇宙は広く開けっぴろげ」と解している。


 もう一人は、道元が天童山景徳寺で修行していたときに出会った老典座で、彼とのやりとりを『典座教訓』では次のように記している。

 ある日私が食事を終えて宿舎の超然斎へ向かおうとしたところ、仏殿の前庭で、用さんという典座が杖を持ち、炎天下に笠もかぶらず体中に汗をかきながら一心不乱に苔(たい:きのこ)を干しているのをみかけた。

 背は弓のように曲がり長い眉は鶴のように白い用さんの近くに寄って年齢を尋ねると68歳と答えるので、「そんなに辛そうな仕事をどうして寺男にやらせないのですか」と私が聞くと、「他人は私ではないから」と典座が答えるので、「あなたは真面目なのですね。ですが、こんなに強い陽射しが強いのに、どうしてそんなな仕事をしておられるのか」と聞く私に「陽射しの強い今でなければ、いつこれをするときがあるのかな」と逆に問われ私は言葉もなかった。

 二人の老典座は、禅修行で大事なことは座禅を組み、お経を唱える事で、文字とは大蔵経(だいぞうきょう)や公案祖録を読むことと思い込んでいた若い道元に痛烈な一撃を喰らわせたのである。

 後に道元は『禅苑清規(ぜんねんしんぎ)』によって典座職は大衆の斎粥を司る禅院六知事のひとつであり、衆僧の食事を管掌する役僧である事や、禅の修行において食事作りを含む日常生活の運営自体が修行であると知るのだが、これは道元が身を置いた叡山だけでなく日本の仏教界にはなかった事であったからその衝撃は大きかった。

 宋から帰国後一時的に身を置いた建仁寺での、名ばかり典座が自らの手で食事を仕切らず寺男に任せきりにしていただけでなく、典座が台所に入る事を恥とする風潮に危機感を抱き、在宋中に出会った数々の名典座の教えを思い起こして後世に伝えるだけでなく、自ら禅院を営む上での手引書として著したのが『典座教訓』であった。

参考文献は以下の通り。

道元 禅の起源』鈴木鴻人著 泰流社

道元 典座教訓』藤井宗哲訳・解説 角川文庫

 


【余興】
 
 ところで参考文献の『典座教訓』に記載されたレシピから手元にある材料を用いて作ったのが以下の三品。名付けて「平成の典座レシピ」。


 

(牛蒡の黒砂糖煮:たわしでこすって泥を落とした牛蒡を切って、昆布、醤油、黒砂糖で炊き、仕上げに粉山椒をふりかける。素朴で禅のエッセンスを感じる)。


 

(大根の味噌炒め:皮を剝かずにたわしで洗った大根を乱切りにして油で炒め煮にし、狐色になったところで水または酒を入れて蓋をし、火が通ったところで味噌と鷹の爪とを加え、最後に味醂を入れて仕上げる。ご飯が幾らでも進むおいしさ)。


(新じゃがの梅肉和え:塩を一つまみいれた湯で歯ざわりが残る程度に新じゃがを茹で、種を取って包丁で叩いた梅干を味醂でのばしたもので和える。さっぱりして夏バテの胃腸に優しい)。