後白河院と遊女(5)法住寺殿今様会〜正調今様伝承、小大進、な

当時の今様は女芸人四三の流れが正調とされ、後白河院の師、乙前も四三の直属の弟子目井から手ほどきを受けたことは前回に述べた。
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 乙前の正調性に難癖をつけるさわのわのあこ丸が、「乙前ねえさんは早くから京に住んだために京風今様は謡えても正調今様は謡えないはず」と喧伝するのを知った乙前が、あこ丸の母の和歌が「四三に早く死なれて秘曲や大曲を習うことができず、土佐守盛実に甲斐に連れられていった時に習った」と目井に語った話を披露し、それを聞いた後白河院と近臣は、あこ丸は四三の流れを受継いでいないな、などと語り合った。

乙前の「小大進(※1)を召して謡わせておくれやす。あのこの歌は、ほんまに、ええとこがおますえ」の言葉を受けて、後白河院は、今様の正調伝承を確かめるには良い機会だと、小大進や、さはのあこ丸など、当代の歌い手を法住寺殿大広間に集めて今様会を開く。

法住寺殿は当時の院御所で、正月二日には今上天皇が太政天皇(父帝)の御殿に行幸して拝賀する儀式『朝覲行幸』が執り行われる場所であり、また、最高の政治決定がなされる最も厳かな場でもある(下は年中行事絵巻の『朝覲行幸』から舞御覧の図、上方の右方、御簾からのぞく黒い衣が後白河院、屋根に隠れて対座しているのが二条天皇と伝えられる)。

法住寺殿殿今様会に招かれた人々は下記図の通り(梁塵秘抄より抜粋して作成)

最初に小大進が秘曲「足柄」を謡うと、聞いた者は後白河院の謡い方と少しも変らないと評し、あこ丸が京足柄(※1)とけなす乙前の謡い方と全く同じで、正調を自認するあこ丸の謡い方とは全く似ず「一体、小大進の謡い方のどこがあこ丸の謡い方に似ているといえるのかね」などと、周りの人々は言いあった。

小大進が次に法文歌(ほうもんのうた※2)「釈迦の御法(みのり)は浮木」の歌を謡うと、「今は当来弥勒」と声を上げるところなど、御所様(院のこと)の謡い方とこれっぽっちも違っていない」と、その場に侍る成親卿・資賢卿・親信卿・業房・法師蓮浄・能盛・広時・康頼・親盛や、座の末に侍る季時も、賛辞を盛んに振りまきながら、小大進の後白河院と変らない謡い方を愛で、大いに感嘆する。

広時なぞは「院の御歌も聞けぬ田舎より京に上ってきたが、院と小大進の謡い方がこのように露ほども違わない事の何と目出度き事か」と、感極まって涙を流すので、人々はこれを笑いながらも、一緒に涙を流すが、この情景にあこ丸が腹立ち紛れに小大進の背中を強くたたき「まんざらでもない歌のようね、また、今度、謡うといいわよ」というので、さらに嫌われた。

「『沢に鶴高く』という古柳を大概の人は知らないというのだが、誰か歌えるかね」との後白河院の要望に、知らないと答えた小大進と延寿に代わってさはのあこ丸が謡うが、院は「この古柳は普通の古柳と異なっているはずだが、あこ丸の歌は別に変わった所が無いのはどうしたことか。四三の説では『この古柳、この説と違えた謡い方は用いるべからず』と申し伝えているのに」と切り込むと、

「師匠のおとどが謡っていたのをぼんやり覚えていますが、未だに習っておりません」と応じた延寿の後を継いだ小大進から「是非そのお歌をお聞きしたいものですわ」と所望された院が、「調子っぱずれになるかもしれないよ」と言いながら謡うと、延寿が「これこそ、おとどが謡っていたのと少しも変っておりません」と感想を漏らす。

さらに、「天台宗の歌の『法華経八巻』の所を聞きたいものだ」と院が所望すると、小大進が謡い、その返しに「もう一度御所様の歌を」と要望して再び院が謡うと、「わたしもこのように謡いたいと思いますが思うように声が出ません。御所様のお声の素晴らしいこと」とお世辞を言う。

歌合いはさらに続き、「しにんしが歌の『ほととる行者』の句」を、小大進がとりわけ上手に歌った後で「御所様の歌をもう一度」と促し、それに応えて謡った院の歌を「この句を御所様が謡ったようにはとても謡えませんことよ」と、またお世辞を言うので、末席に侍る季時が、小大進は歌が上手なだけでなく人柄も謙虚であると盛大に褒めちぎる。

小大進が謡う歌を殊に妙に謡って聞かせるのに対して、あこ丸の方は少し世間の評判が悪く、そのうえに、大して知っているわけでもないのに知ったかぶりをして謡うから、却って化けの皮がはがれるのか、と、書き記した後白河院はさすがによく観察している。

小大進の歌を二人の娘と御所の中で聞いていた乙前は「古(いにしえ)の目井師匠の歌を聞くようでした」と感に堪えて言い、そののちに、小大進は目覚ましく名を揚げてゆく。

※  1小大進:花園左大臣家の女房として仕えていた小大進は、今様の名人としてだけでなく勅撰歌人としても知られ、石清水八幡別当権大僧都・光清との間に産んだ娘の小侍従は著名な閨秀歌人でもある(「後白河院」(財)古代学協会編より)。

※ 2京足柄:京風の足柄で、さわのあこ丸が乙前の謡う足柄は正調ではないとけなしていう。
※ 3 法文歌:仏法を述べた文言の意。歌詞は概ね七五調ないし八五調の句からなる。