隠居Journal:大手町ビルの思い出(1)屋上でバドミントンをしていた頃

手元にセピア色の写真がある。そこには大手町ビルの屋上でバドミントンをしている約60年前の私が映っている。

 

 

東京オリンピック開会式直前の1964年10月6日に、私は憧れの大手町ビル内の職場で働くことになった。

 

当時は、丸の内や大手町にオフィスを構える大企業は女子社員の採用について①4年生大卒門前払い、②自宅通勤限定、③縁故採用、④結婚退職が不文律であった。

 

そんな条件を潜り抜けて地方の商業高校卒で親戚から都内の薬品卸問屋に勤めていた私が何故採用されたかと言えばキーパンチャーという技術職であったから。

 

今でも覚えているが、採用枠2人に対して、書類選考をパスして適性検査と面接の会場に現われた応募者は20歳~25歳の16人の女性であった。

 

その中には、財閥系の企業を退職して応募した女性もおり、その彼女から勤続2年で退職金を50万円支給されたと聞かされて仰天したのも懐かしい思い出だ。

 

そんな難関を突破して2人のうちの1人に選ばれたのは、商業高校の選択科目で和文タイプではなく英文タイプを専攻していたので、ブラインドタッチでキー操作が可能な即戦力になり得ると判断されたのではないか。

 

私にとってこの転職は、その後2004年に60歳で定年退職するまで、情報産業界でキャリアを築く幕開けとなった。