隠居Journal:大手町ビルの思い出(6)残業飯で配達されたサンケイビル「今よし」の鉄火巻

私が勤務していた当時の計算センターは、キーパンチャーや、女性スタッフは急ぎの仕事がない限り基本的に残業をすることはなかった。

 

しかし、計算機を操作するオペレーター(男性)は、ローテーションを組んでの残業は定例であった。

 

というのは、受注計算の料金は次の三種類に分かれていて

      ・QTA(QUICK TURAN AROUND)

        ・普通

      ・翌朝

当然ながら、計算料金はQTAが一番高く、その次が「普通」、そして一番安いのは「翌朝」であった。

 

特に受注計算「翌朝」の計算結果の処理では、オペレーターは計算機の操作に拘わる作業の他に、計算結果のプリントと計算機に読ませたパンチカードをまとめて、

  • 社内のプログラマーが依頼者であれば、プログラマーが属する部署の集配棚に、
  • 社外の依頼者に翌日の受付カウンターから渡す場合はカウンターの後ろ側の棚に、
  • 遠隔地の依頼者に航空便で送付する場合には、それぞれを航空バックに収納、

等の、日中では女性スタッフがこなす仕事も担ったからであった。

 

何しろIBMの最新メインフレームを日本で唯一備えた受注計算センターなので、全国からパンチカードを携行して計算依頼にくる顧客、あるいは航空便で依頼する顧客は多かったので、計算結果の後処理も大変だったのであった。

 

計算センターのメインフレームIBMシステム360からIBMシステム370に切り替わっていた頃(1973年頃か)、私の方も入社時のキーパンチャーを卒業して受付カウンターを担当していたある日、私が定時後も残って受付けカウンター仕事とカウンター内の整理作業を続けていたところ、オペレーターから「残業するなら鉄火巻を追加するよ」と声をかけられ、嬉しくて思わず頷いていた。

 

残業時のオペレーター達は夜の6時半頃に小腹を満たす「残業飯」を隣のサンケイビル地下の寿司屋「今よし」から鉄火巻の出前を依頼するのが定番で、本格的な夕食は仕事が完了して、定宿として契約している近くのホテルに到着してからであった。

程なくして、「今よし」のスタッフが、芳しい海苔の香りを漂わせながら、美味しそうな「鉄火巻」の小桶を人数分と醤油瓶・割り箸・小皿等を届けてくれた。

 

あの時は、何だかオペレーター達も私がメンバー加わったのが嬉しいらしく(私の労働力としての期待ではなく、いつもの男達だけの雰味気ない雰囲気に変化をもたらした事への歓迎だと思う)、お喋りに花を咲かせながらの陽気な雰囲気だった。

 

あれから50年を経ても、オペレーター達と「今よし」の鉄火巻を囲んだ「残業飯」の場面が今でも鮮やかに蘇るのは、当時、「今よし」の寿司は美味しいとの評判だったが、何しろ懐具合の寂しい安月給の自活者の身には「高嶺の花」、ランチタイムに「今よし」の暖簾を横目に見ながら他の安いお店に入るのが精一杯だったからか。