新古今の周辺(34)鴨長明(33)歌論(5)新古今風も中古風も古

鴨長明は新古今の歌風が当時の人々にどのようにうけとめられていたかを『無名抄』で次のように記している。

71 近代の歌体 5

先ず、今の頃の歌風(新古今風)が新しく生まれたもののように思えるのはまちがっているのであろうかとの問いに対して、

仮にそうであっても必ずしも悪い事ではない。唐土(※1)では限りのある文体においてさえ世の流れにつれて改まっている。この国は小国(※2)で人の心のありようが愚かなものだから、諸々において昔と変わらない事こそ良い事だと思い込んできた。

とはいえ、歌は心のありようを詞にして聴く人の耳を喜ばせるためのものであるなら、その時々の歌を愛好する人々に受け入れられる以上の事はない。

と、応じたうえで、今の頃の歌風、すなわち新古今風も、中頃の歌風、すなわち中古の歌風もなべて古今集から生まれたものだと次のように反論している。

どのように云おうとも、新古今風は、絶対に、絶対に、全く新しいものとして巧いぐあいに生まれたものではない。

万葉集までさかのぼるのは遠すぎる。が、古今集(※3)を隅々まで読みこなし、歌の詞と姿を深く理解するところまで至らないまま中古の歌風に拘泥する人たちが、新古今風を新しく生まれた歌に過ぎないと受け止めて非難しているのだ。

古今集に収められた約1100首の歌の分類は春・夏・秋・冬・賀・離別・羈旅・物名・恋・哀傷・雑・雑体(長歌・旋頭歌・誹諧)・大歌所御歌に及び様々な体の歌が収められている。そうであれば、中古の歌風はこの古今集から生まれたものといえる。

また、新古今の歌風の幽玄の理念も古今集から生まれたものである。

例え、今の世のありようを歌に詠み尽くしても、世の中が改まってゆくとしても、古今集には戯れ歌なども漏らさず撰集している事を考えれば、やはりこれからの歌風も古今集の枠から出る事はないだろう。

この事を全く顧みることなく新古今の歌風を非難し中傷するのは、ひとえに中古の歌風に封じ込められているからである。

(※1)唐土(もろこし):古代中国。藤原俊成は彼の歌論書『古来風躰抄』で「もろこしにも文体三度改まるなど申したるやうに」と記している。

(※2)この国は小国:鴨長明の時代は唐土を大国、日本を小国と見なす風潮がひろまっていたようだ。『古今著聞集』には、同じ空海の唐で書いた字と日本で書いた字の筆勢が異なることを訝った嵯峨天皇に対して、空海が「唐土は大国なれば、所に相応して勢かくのごとし。日本は小国なれば、それに従ひて当時の様をつこうまつり候なり」と答えたと語る。

(※3)古今集:『古今和歌集』。最初の勅撰和歌集。20巻。約1100首を収める。
紀貫之紀友則凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰進。延喜5年(905)に醍醐天皇の勅命によって成立。六歌仙及び撰者らの歌約1100首を収めその歌風は調和的で優美・繊麗とされる。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫