五番街からの強烈なご挨拶

 1986年の5月初旬、友人と私は前日ケベック州で買ったばかりの手触りが柔らかくて艶のある革ジャンを着こんで颯爽とニューヨーク五番街にデビューした。

 さすがに世界中から富と人材が集中するだけあって、華やかな通りでは肌の異なる多様な人々が背筋を伸ばして闊歩し、街頭の屋台からはホットドッグ、ベーグル、そしてプレッツェルの香ばしい臭いが漂って食欲をそそる。

 しかし、最初の興奮が収まり、眼が慣れてくると、道行く人たちの中でも、首に結んだスカーフ、小脇で支えたショルダー・バッグ、手に掲げた幾つもの大きなショッピングバッグなど全てブランドで身を固めていたのが日本人ばかりである事に気がついた。

 ティファニーに至っては、店内のショーケースで品定めをしていたのは日本人の他は見当たらず、さながら「ティファニーを占拠する日本人」の様相を呈していた。

 それに引きかえ、同じ日本人でありながら、しがない自活OLの私たちは、とてもティファニーを物色する財力は無く、金ぴかのトランプタワーのお店で木綿糸なみの太さの18金チョーカーや細工物のブローチを購入するのが精一杯であった、

 それでも精一杯背伸びをしてガイドブックに○をつけていた大手書店で幾冊かのハードカバーのページを捲り、ケーキと珈琲を前に洒落れたカフェに腰をかけたりしながら、五番街の雰囲気を楽しんでいたが、そのうちに流れてくる賛美歌に誘われて荘厳な尖塔の教会(セントパトリック大聖堂だった)に足を踏み入れ、空いたベンチの前に立つと、中年男性が険しい表情で私たちを追い払うしぐさをする。

 こちらは、なんで、という思いで再び腰を下ろそうとすると、今度は凄い形相であっちへ行けとドアを指差すので、これは人種差別ではないかと私たちの態度が硬化した時、このやり取りを見ていた穏やかな中年の男性が私たちの背中に注意を促すので、私たちは互いの背中を見て初めて男性の険しい表情を理解した。

 友人と私の黒の革ジャンの背中には、トマトケチャップとマスタードがベターッと塗たくられ、私たちは五番街から強烈なご挨拶を承ったのである。      

           


 そして3年後の1989年、三菱地所ロックフェラー・センターを、ソニーはコロンビア・ピクチャーズを買収してアメリカ国民の神経を苛立たせるのである。