後白河院と寺社勢力(11)国守(4)清女・紫女が歯牙にもかけぬ五

 ところで共に五位の父を持ちながら、中宮後宮サロンの花形スターとして天皇・関白を始めとする上流貴族と接することの多かった清少納言紫式部は中下流貴族の五位をどのようにみていたのであろうか。


 まず、清少納言だが、彼女が「枕草子」で言及する五位は青年貴族が中心で、その彼らは21歳で自動的に優位な位を得る親の七光とも言うべき「蔭位制度」(下図参照)の恩恵を受ける高級貴族の御曹司であるから好意的に描かれるのは当然といえる。



 だが、第二段の「除目(※1)のころ」で始まる次の描写は清少納言の五位に対する見方を率直にあらわしているといえそうだ。

「除目のころなど、内裏わたり、いとをかし。雪ふり、いみじう凍りたるに、申文(※2)持てありく四位・五位、若やかに心ちよげなるは、いとたのもしげなり。

 老いて頭白きなどが、人に案内いひ、女房の局などに寄りて、おのが身のかしこき由など、心一つをやり説ききかするを、若き人々は、まねをして笑へど、いかでか知らむ」


 ここでは、前途洋々の若年五位と、清少納言などの女房にクドクドと自分を売り込んで後から笑い者にされている老年ポストレスの五位との対比が痛烈に描かれている。


(※1)除目(じもく):正月には地方官を補任する県召(あがためし)があり、受領階級に属する中下流貴族にとっては一族を上げての一大事であった。
(※2)申文(もうしぶみ):任官申請の文書


 さて、それでは紫式部はどうかといえば、彼女の「紫式部日記」における五位に関する記述は、中宮彰子お産時の物の怪調伏場面での「公達・四位五位ども立ちさわぎて」と、皇子出産五夜目を祝う産養での「何ばかりの数にしもあらぬ五位どもなど、そこはかとなく腰うちかがめて行きちがひ、いそがしげなるさまして、時にあひ顔なり」のわずか二箇所のみでであり、そこから窺えるのは彼女が五位を「数ならぬ身」と見下している姿である。




紫式部日記絵巻 産養の場面」(院政期の絵画展カタログより)