後白河院の娘(2)式子内親王(7)法然の返書

 法然の「正如房」宛の返書が「承如法」の戒名を持つ式子内親王に対して書かれたものと判明した経緯を前回述べたが、一体どのような文面であったかを知る為に、先述の『法然上人絵伝』の詞書釈文と比較して情緒纏綿の趣が強すぎるきらいがあるが、ここに、石丸晶子編訳「法然の手紙」から一部を抜粋したい。



「正如房、あなたの御事を伺い、ただただ驚いております。その後は心ならずも疎遠なことになっておりまして、お念仏の御信心もどのようであろうかと、知りたく思っておりましたが、


「そんなところへ、今、御病気ただならぬ御様子を伺い、それは大変なことになったなどと思っておりますにつけても、もう一度はお目にかかりたくも存じます。


「しかし正如房、よくよく考えてみれば、究極のところ、この世での対面はどうでもよいことです。なまじお目にかかりますと、亡骸(なきがら)に執着する心の迷いにもなる事でしよう。
誰にしても、いつまでもこの世に生き続けることはできません。わたくしも人も、ただ後れるか先立つかの違いがあるだけです。

 生死のあいだを考えましても、いつまでも生き続けられるのか、誰にも分かりません。たとえ久しい歳月だと申しても、過ぎてみれば夢幻(ゆめまぼろし)にひとしく、幾程もないみじかい一生でしよう。

 それゆえ、ただきっときっと、同じ仏の国に御一緒に参って、蓮の上で、この世の鬱とうしさを晴らし、ともに過去の因縁をも語り合い、互いに未来の教化を助け合うことこそ、かえすがえすも大事なことですと、お会いした初めから申し上げておりましたが、どうかこのことをもう一度、しっかり思い出してくださいますように。


「ところで、お手紙を拝見して、あなたが往生しがたいようにいう人々がまわりにいることが、いくえにも、かえすがえす、残念なことで、あきれております。
そんなことを、たとえいかなる智者、身分高き人々が仰言ろうとも、どうかそれに心を動かされたりなさらないでください。


「わたくしも、このように引き篭もって別時の念仏を唱えようと心に決めましたとはいえ、この念仏がわが身一つのためとは、初めから思っておりませんでした。そしてちょうどそんなときに、御病篤いことを承ったのです。
 この上は、今よりのち一念も残さず、ことごとくみな、あなたの往生の助けとなそうと発願し、そのように廻向させて頂きたく、必ず必ず、何としても思召しのままに、あなたが願われるとおりの往生を遂げさせ申さずにはおかないと、深く深く念じております。


「夢まぼろしのこの世で、もう一度お会いしたい、などと私も思いましたのは、本当はどうでもよいことだったのでしょう。

 そんなことは、あなたもどうかきっぱりと思召し捨てて、ただどうか、いよいよ深く往生を願う心を深めていき、お念仏にもいっそう励まれて、浄土で待とうとお考えになってください。
 かえすがえすも、正如房よ、往生を疑ってはなりません。


「御気分がいかがか分かりませんので、加減が分からず、淋しく、わびしい思いです。
 もし、余程弱っておられるといたしましたら、この手紙は余りにも長すぎます。そのときはどうかお使いの方が要点をかいつまんでお伝え申し上げてください。

 あなたのお気持ちを承り、なんとなくあなたがしみじみと愛しく思われ、重ねてまたこのような追伸をしるしました。