九条兼実の要望によってはからずも述作することになりながら、覧後は直ちに壁の底に埋めて人目に晒す事のないようにとの文章で閉じられた法然の『選択本願念仏集』(略して『選択集』)は、本人の意に反して入滅の年の建暦2年(1212)に開板された事で仏教界から激しい非難を浴び、さらに、入滅後15年を経た嘉禄3年(1227)には比叡山の衆徒に建暦版が焼かれるほどの怒りを巻き起こしている。
一体『選択集』の何がこれほどの非難と怒りを巻き起こしたのか。それを多少とも理解する為に、ここでは表面をなぞるだけに過ぎないがまずはその骨子に触れてみたい。
『選択本願念仏集』は、法然が諸教・諸行の中で念仏が最も優れていることを証明するするために述作したもので、『観無量寿経』(※)の16観に因む下記の16章からなり、各章は典拠となる経典や祖師の著作(カッコ内)の一部を引用したあとに法然の解釈を加える形をとっている。
(※)『観無量寿経』:浄土三部経の一。釈尊が阿弥陀仏とその浄土の荘厳を説いたもの。
第一章:道綽禅師(どうしゃくぜんじ※)、聖道・浄土の二門を立てて、聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文(もん) (道綽『安楽集』)
(※)道綽禅師:中国山西省の人、中国浄土教の祖師の一人。「安楽集」は観無量寿経を解釈した書。
第二章:善導和尚(ぜんどうかしょう※)、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰するの文 (善導『観無量寿経疏』)
(※)善導和尚:唐代の僧。『観無量寿経』の注釈書で本願念仏による浄土往生を説いた『観無量寿経
疏』を著す。
第三章:阿弥陀如来、余行を以って往生の本願となしたまわず、唯、念仏を以って往生の本願と為した舞えるの文 (『無量寿経』(※)・善導『観念法門』)
(※)『無量寿経』:仏典の一。浄土三部経の一。無量寿(阿弥陀)仏の四十八願と極楽の様子、および極楽往生の方法を説いたもの。
第四章:三輩念仏往生の文 (『無量寿経』)
第五章:念仏利益の文 (『無量寿経』・善導『往生礼賛(らいさん)』)
第六章:末法万年の後に、余行悉く滅し、特に念仏を留むるの文 (『無量寿経』)
第七章:弥陀の光明、余行の者を照らさず、唯念仏の行者を摂取するの文 (『観無量寿経』・善導『観無量寿経疏』)
第八章:念仏行者は必ず三心(さんじん)を具足(ぐそく)すべきの文 (『観無量寿経』・善導『観無量寿経疏』)
第九章:念仏の行者は四修(ししゅ)の法を行用(ぎょうゆう)すべきの文 (善導『往生礼賛』・基(※)『西方要決』)
第十章:弥陀化仏の来迎、聞経(もんぎょう)の善を讃嘆(さんたん)せず、ただ念仏の行を讃嘆したまうの文
(『観無量寿経』・善導『観無量寿経疏』)
第十一章:雑善(ぞうぜん)に約対(やくたい)して念仏を讃嘆するの文 (『観無量寿経』・善導『観無量寿経疏』)
第十二章:釈迦(しゃくそん)、定散(じょうさん)の諸行を付属せず、ただ念仏を以って阿難に付属したまうの文 (『観無量寿経』・善導『観無量寿経疏』)
第十三章:念仏をもって多善根となし、雑善(ぞうぜん)をもって少善根となすの文 『観無量寿経』・善導『往生礼賛』)
第十四章:六方恒沙(ろっぽうこうじゃ)の諸仏、余行を証誠(しょうじょう)したまわず、唯念仏を証誠したまうの文 (善導『観念法門』・『往生礼賛』)
第十五章:六方の諸仏、念仏の行者を護りたまうの文 (善導『観念法門』・『往生礼賛』)
第十六章:釈迦如来、弥陀の名号(みょうごう)をもって慇懃(おんごん)に舎利弗(しゃりほつ)等に付属したまうの文 (『阿弥陀経』(※))
(※)『阿弥陀経』:浄土三部経の一。仏が西方極楽浄土の荘厳を説き、称名念仏をすすめるもの。
参考文献は以下の通り