藤原定家の『明月記』は建仁元年(1201)10月17日に九条兼実の娘で後鳥羽天皇の中宮・宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)が出家した時に法然が戒師をつとめ、翌年正月28日の兼実の出家にも法然が戒師をつとめたことを驚きをもって記している…
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