157 後白河院と寺社勢力(115)遁世僧(36)法然(8)来世

 藤原定家の『明月記』は建仁元年(1201)10月17日に九条兼実の娘で後鳥羽天皇中宮・宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)が出家した時に法然が戒師をつとめ、翌年正月28日の兼実の出家にも法然が戒師をつとめたことを驚きをもって記している。

 ところで、九条兼実の『玉葉』に法然が始めて登場するのはそれに先立つ11年前の文治元年(1189)8月1日であり、その時は法然が兼実に法門及び往生の業(ごう)を談じたとあり、さらに一週間後の8月8日に法然から受戒しその後も度々法然から戒を受け兼実の夫人も受戒している。

 そして建久2年(1191)9月29日の『玉葉』は、宜秋門院が法然から受戒した事に対して「法然のような上人(遁世僧)が女院御所に赴き授戒するのは先例がない」と周囲から非難を浴びた事、それに対して兼実が「受戒をいい加減に考えるべきではない、戒を伝授している僧を戒師として受戒しなければならない。ところが近頃の有名な僧たちはまったく戒律のことを知っていない」と反論し、「近頃は上人が皆この授戒を学んでおり、また効験もある。このようなわけで、非難を省みずに法然上人を招かせたのである」と法然たち上人を擁護している。


 

(上図は関白九条兼実像 『図版公家列影図』より)

 ここで注目したいのは兼実が受戒に「効験」を挙げている事である。つまり、兼実は来世の功徳である「成仏」だけでなく、現世のご利益である「効験」も期待して法然を戒師として招いたのであり、心身不調の時に法然に受戒してよい結果を得た体験もしていたようだ。

 九条兼実法然を戒師とする前には真言僧で密教の念仏をもって授戒する仏厳房を度々招いていたようで、治承元年(1177)4月12日の『玉葉』には、仏厳房を兼実邸に招き障子越しの謁見で法文の談義だけではなく風病の治療についても質問し、「この聖人は能く医術を心得ている人である」と医僧としても高く評価しているばかりか、法然から受戒した後も度々戒師として招いていた。

 それでは、九条兼実が治療を要した「風病」とはいかなる病気であろうか。風病は「ふびょう」あるいは「かざやまい」とも呼ばれ平安時代の王朝文学や公卿の日記にしばしば登場し、『源氏物語』で「ふびょうに韮を薬として用いた」と書かれた記述は後々の議論の種になっている。

 が、公卿の日記では藤原道長の『御堂関白記』に「風病発動」「悩風病」などと頻繁に登場しているが、残念ながら病状の記述が無く、むしろ道長のライバルでありながら教養が深すぎて道長ほど阿漕に振舞えなかった右大臣藤原実資の『小右記』では、道長の風病の症状を「頭痛」などと具体的に記し、参議平親信が言語不明・進退不能の症状を呈した時には「中風」かと疑ってもいた。

 また、自らの「風病」については「熱発・頭痛・食不振」と症状を記し、早朝の沐浴(もくよく:湯あみ)、夜は枕元で蓮舫阿闍梨(れんほうあじゃり)に祈祷させたなどと治療法も記し、沐浴の後に症状が重くなったが三日後には回復したと述べている。

 こうしてみると、当時の「風病」は今で云う感冒症状の他に、脳溢血や脳栓塞など半身不随、言語障害などを来たす病気も「風病」とみなしていたようだが、極め付きは後白河院パトロンとして描かせた『病草紙』であり、ここでは風病について「ひとみつねにゆるぐ。厳寒にはだかでいる人が震えわななくようである」との詞書と共に、碁盤の傍で立膝をした男が眼をつり上げ口をゆがめた顔をした図から、眼球が左右に揺れ動く「眼球震戦症」を指していると思われ、この場合は神経系統の病気が風病であった事がわかる。

 九条兼実が風病の治療に法然や仏厳房を、藤原実資が高僧の蓮舫阿闍梨を招いた事を考え合わせると、当時の貴顕は高僧や上人(聖人)から授戒するに際して来世における成仏だけでなく、現世での病気治癒も期待していた事が読み取れ、他方の戒師には医術の心得も必須であった事が窺がえる。

 これに関しては、比叡山の最上身分の学侶(学僧)であった光宗は『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』で、自分が比叡山で学んだ学問は仏教に関するものだけでなく武術・医学・土木・農業なども含まれると記しているが、当時最先端の知識と技術を備えた総合大学と称された比叡山で学び、秀才ぞろい中で「知恵第一」と謳われた法然であれば医術に関しても優れた知識と治癒方法を習得していた事は容易に推測される。

 これは余談だが、風病に際して蓮舫阿闍梨から祈祷を受けた右大臣藤原実資は寛徳3年(1046)に90歳(当時は数え年)で没しているが、病持ちの上に追い落とした数々の政敵の怨霊に悩まされて63歳で没した同時代の藤原道長の人生と比較するとなかなか興味深いものがある。


参考文献は以下の通り。

『鎌倉仏教』 田中 久夫 講談社学術文庫
 
『王朝貴族の病状診断』 服部 敏良 吉川弘文館

『日本の中世寺院』 伊藤 正敏 吉川弘文館