矯めつ眇めつ映画プログラム(31)「バスキア」

  映画「バスキア」は、80年代ニューヨークのアートシーンに彗星のごとく登場しながら、失意のうちに27歳の若さで夭逝した天才画家バスキアを、ジュリアン・シュナーベル監督が1986年に描いた作品だが、バスキアの名前を知らなかった私が、この映画を観る気になったのは、華麗ではあるが生き馬の目を抜くといわれる熾烈なアートビジネスの裏側を知りたかったからであり、さらには大物画商にデニス・ホッパーが扮するからであった。


 ドラム缶で暮らしながらスプレーペインティングをしていたバスキアの運命は、大物画商とアンディ・ウォーホルに自作のポストカードを売り込み、二人の評価を得た事から大きく展開し、有力パトロンが提供したアトリエで次々と傑作を生み出してゆくが、彼がアート業界の注目を集めるにつれて昔の仲間は彼から離れてゆく。


 また、アート業界は金のなる木を放っては置かず、バスキアの評価が高まるにつれ彼は画廊や画商の熾烈な駆け引きに巻き込まれて、さらには一部の批評家から「黒人であることをアートに利用している」と痛烈に批判されて落ち込むが、アンディ・ウォーホルの励ましで何とか絵を描き続けていた。


 しかし、ウォーホルが1987年に59歳で病没した後は孤独と失意を癒すためにドラッグに溺れ、ウォーホルの後を追うようにバスキアは1988年に27歳の生涯を閉じるのだが、この映画は栄光を維持する代償の凄まじさをまざまざと見せつけてくれた。


 栄光を手にするのは大変だが、一度手に入れた栄光を維持するのはもっと大変で、そのためには、才能だけでは足りない。ビジネスの駆け引きに長け、何よりも嫉妬や中傷、裏切りに耐えるだけの精神のタフさが不可欠なのだと映画は語ってくれる。ある時代の寵児として名を轟かせたウォーホルでさえ、59歳の若すぎる病死は、名声を維持するため心身をボロボロにするほどの大きな代償を払っていたように私には思える。


 それでもウォーホルは59歳まで生きたからそれなりに作品を残す事が出来たが、バスキアが27歳ではなく40歳、50歳、60歳まで生きていたらもっともっと素晴らしい作品を残していたのではないかと早すぎる死が惜しまれる。


 いずれにしても、あのトレードマークの鬘頭を振り振り、俗物根性丸出しのウォーホルを懸命に、かつ、嬉々として演じていたデビッド・ボウイを見出したのは予想外の収穫であった(写真はプログラムから)。