隠居Journal:神保町と私(1)回想(1)2006年7月:近ごろ嬉しい若者回帰

 

今日は映画を見る予定であったが、朝、友人から電話があり、いつもの如くお喋りしていたら、彼女の「神保町の美術誌専門の古書店で、井原西鶴展のカタログがあったけど」との言葉を耳にして、丁度ブログ発信している西鶴シリーズでビジュアル資料が欲しかったので、急遽、予定を変えて神保町に出動する事にした。

 

私は神保町には40年近く馴染んでいるので、該当の古書店の見当はつく。で、お目当ての二軒目の店内をシラミ潰しに探して、やっと、1993年に、サントリー美術館(東京)と大阪市立博物館(大阪)で開催された「三百年祭記念西鶴展」の図録を見つけた。

 

  

 

但し、4500円の値段を見てぎょっとし、さらに現金限りと言われて絶句したが、目にしたからには買うしかない。

 

遂に、私の西鶴狂いもここまで来たかと思いながら、「一等席で見る歌舞伎公演を、三階席で見ればよいのだ」と、「胸算用」して、なけなしのお札を出して買った。

 

ところで、最近、神保町界隈を歩いて感じるのは、若者たちの姿が随分増えたと言うこと。

 

私が1965年頃に都電で通っていた頃の神保町は、パリのカルチェラタンに匹敵する位、大学と大学生の街であったが、ある時期から、古書店街はさびれ、しょぼくれた大学の先生か、趣味で古書漁りをする、中高年のおっさんばかりの時期があった。若者の活字離れも盛んに膾炙されてもいたし。

 

ところが、今は、若い男女が、結構、隈なく、あちこちの古書店で、真剣に本を選んでいて、この光景を見ると、若者の活字離れにブレーキがかかってきたのではないかと思ったりして。

 

 

まあ、テレビはとことんつまらなくなってきているし(1964年の東京オリンピックの前からテレビを持たない生活をしている私が言うことではないが)、最近のブログも、身辺雑記ばかりでは種も尽きて、オタクぶりの発揮にしろ、薀蓄披瀝にしろ、意見開陳にしろ、それなりに知識武装が必要になってきていることは確かだ。

 

そういえば、最近、歌舞伎・文楽・能・狂言などの伝統芸能にも、若者の観客数が増えてきているように思えるが、これは、役者や演者側の積極的な働きかけの結果かもしれないが、若者の側にも、本物の、手応えのある芸にふれたいという気持ちが生まれてきているからではないか。