彼方の記憶(10)NYSEのロゴ入り名刺入

1986年のGWを利用して友人とアメリ東海岸を旅行したのだが、初めてニューヨークの5番街に足を踏み入れた私を驚かせたのは、高級ブランドロゴ入りショッピングバックをぶら下げて闊歩していたのが日本人ばかりだったこと、ティファニー店内でショーケースをのぞき込んで商品を物色していたのも日本人カップルばかりだったことである。

当時の日米経済は共に好調であったが、そのアメリカで日本人の景気の良さを再認識させられるとは。アメリカが霞んでいた。

とは言え、安給料のOLだった友人と私はブロードウェイ42丁目辺りの大型安ホテルに宿泊せざるを得なかったが、目の前がタイムズスクエアのミュージカルの売れ残り当日券の半額チケット売り場だった事から、先ずはその列に並ぶことが日課となり、お陰で「ラ・カージュ」「コーラスライン」を格安で観ることが出来た。

その旅程に私がニューヨーク証券取引所見学を提案したのは、当時マスコミが囃した「財テク美人」ブームに煽られたからで、何しろこの頃から日経平均株価は1989年12月29日の終値38915円に向かって一直線の勢いで「だったら資本主義経済の総本山の活気を直に感じたい」と思ったからでもある。

さて、取引所見学当日だが、見学者入り口は狭いウオールストリートを挟んで長蛇の列で、その国籍の多様さからニューヨーク証券取引所の威力を再認識しただけでなく、私たちの前に陣取ったイタリアの男子高校生の一団を目にして、もし修学旅行の一環なら日本の高校教育とエライ違いだと思った。


で、上の写真はその時に買ったNew York Stock Exchange のロゴ入り名刺入。残念ながら当時の勤務先は総合職にしか名刺を支給しなかったので、私がこの名刺入れを仕事に活用するには、均等法施行後に勤務先が導入した、事務職から総合職への転換試験、すなわち女子社員だけに課されたハードルの高い「職系転換試験」をパスするまで待たなければならなかった。

晴れて総合職になってからは2004年5月に定年退職するまで大いに活躍してくれたのである。