新古今の周辺(29)鴨長明(29)歌論(1)今様と中頃の歌風の優

鴨長明は『無名抄』に洞察力を極めた歌論を「近代の歌体」と題して展開している。

71 近代の歌体 1
あるひとが、

「この頃の人たちの歌に対する見方は二つに分かれているように思えます。中頃の歌風(※1)を良し、と、する歌人たちは、今様の歌風(※2)を、単に難解な言葉をならべつらねていると受けとめて達磨宗(※3)などと嘲笑っています。

その一方で今様の歌風を良し、と、する歌人たちは、中頃の歌風を俗っぽくて見るところがないと嫌っているようです。

そうなると中頃と今様の歌風の優劣を論じているはずのものが、あたかも中頃宗と今様宗といった宗派間論争の様相を呈してとても判定など出来ないでしよう。これから歌の道を学ぼうとする人たちはこういう状況に対してどのような心得を持てばよいのでしようか」と、問うと、

ある人は、

「中頃の歌風と今様の歌風のどちらが優れているか、が、この頃の歌壇の大きな論争になっているのであるなら、そうそう簡単に結論が出るものではないと思います。

もっとも、これまでの人間のならいとして、月や星の運行も天文博士などの天変を予知する力などに拠って知ることができ、陰陽師の力で鬼神の心をも推し量ってきたことなどを考えると、いまは判然とした答えが得られそうにないと思えることも、時間をかけてよくよく考えてゆくとそれなりの答えが見えてくるのではないでしようか。そこまでゆかなくとも、貴方の考えに従って判断すればよいのです」と、答えた。

(※1)中頃の歌風:平安中期から後期ごろの歌風。『古今集』の頃。

(※2)今様の歌風:長明が歌人として活動した頃の主として藤原定家によって新しく造りだされた歌風。『新古今和歌集』の頃。

(※3)達磨宗(だるましゅう):インド生まれで中国に渡った達磨大師がひたすら座禅を組んで自らを悟った禅宗の宗派のように、定家が自然や日常から離れてひたすら思案する中で作り出した難解な歌風を揶揄する言葉。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫