新古今の周辺(41)鴨長明(38)歌論(10)長明の「本歌取」論

鴨長明は師・俊恵の教えをとりいれつつ「本歌取」に対する自論を「新古の歌」と題して『無名抄』で次のように述べている。

74 新古の歌 1

一つには、古歌をとるにも(本歌取)にも方法がある。古い歌のなかの、趣のあることばで、歌の中に裁ちいれても飾りとなるようなことばを選んで取り込み、違和感のないように続けるべきである。

例えば、正治2年の院初度百首で藤原定家が詠んだ

夏か秋か、問へど白玉岩根より はなれて落つる 滝川の水

【現代語訳:夏か秋か 尋ねても知らぬ顔で 白玉のような雫が 
岩の根から 離れて落ちる 滝なす川よ 】

このような、本歌取りの風体がある。

因みにこの歌の本歌は

主(ぬし)や誰(たれ) 問へど白玉いはなくに さらばなべてや あはれと思はむ
古今集 雑上 873 源融) 

しかし、古歌を取ればよいということだけで分った気になって、取って良い言葉と取って悪い言葉を見分けることをしないで取って、何やらおかしな具合に続けている、何とも惜しい事である。

いかにも古歌をとりました、と、誰もが分かるようにあからさまに取るべきであり、古歌を取っているのか、いないのか、判然としないあいまいな取り方はよろしくない。

と、長明は、「本歌取」に一家言を持つ天下の藤原定家の歌に難癖をつけている。

さらに続けて、古歌を取るとしても殊更に優れた句を取るべきではなく、他の句に隠れているような目立たない句を選んで、それを自分の句に趣を添えるように続けるべきであると主張し、例として、ある歌人が、紀貫之

桜散る 木の下風は 寒からで 空にしられぬ 氷なりけり

【現代語訳:桜が散る木の下を吹く風は寒くなくて 
空には今まで知られたことのない雪が降ったよ】

の下の句の「空にしられぬ 氷なりけり」を取って月を題とする歌に、
「水に知られぬ 氷なりけり【現代語訳:水に今まで知られていなかった氷が張っている】」
と、詠んだ歌を

「これこそ本歌取よ、貴人に仕える新参のお針子が、高価な衣を盗んで小袖に仕立て直して着ているようなもの」と、人々がほめたたえた事を挙げている。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫