後白河院と寺社勢力(113)遁世僧(34)法然(6)観念か称名か

 財もなく、読み書きも出来ず、毎日毎日を喰う事に追われる庶民と自らを含めた三学非器の凡夫が成仏できる法門はどのようでなければならないか、再び黒谷に戻った法然の求道は『無量寿経』(※1)の説く「阿弥陀仏の本願」にたどりつくまで25年も続いた。

 『無量寿経』は、釈尊が、一人の国王が如来の説法に感銘を受けて王位を捨てて出家し、修行を積んで法蔵菩薩と呼ばれるようになったが、さらに48の願いを立て、永い時間をかけて全ての願いを達成して成仏した阿弥陀仏について阿南に語ったものである。

 その中で法然が着目したのは、阿弥陀仏が西方10万億土の彼方に極楽浄土を建立して、「もし私が成仏できたなら、十方の衆生が心をこめて深く信心し、この浄土に生きたいと念願するなら、10篇でも念仏すれば全ての人々を私の浄土に迎え入れたい。それでも往生できない者がいるのであれば私は仏にならない。しかし、五逆(※2)と仏の正法を非難中傷する者は除く」と説く18番目の願いであった。

 これは、法蔵菩薩が48の願い全てを達成して阿弥陀仏になったのであれば、第18願も達成した事を意味するが、それでは「念ずる」とは一体どういう行為なのか。

 仏教の伝統的な解釈での「念」とは心を凝らして仏を観想することであり、阿弥陀仏の像を如何に観ずるかが鍵となる。

 これに関して興福寺の学僧でありながら生駒の竹林寺・および海住山寺に篭居した信願房良遍は、晩年には弥陀念仏にも重きをおいて阿弥陀仏の眉間の白毫を観ずる事を行としていたが、その白毫が白光を発して自身を照射することを実修したことから、往生すればどんな凡夫をも救いを得る仏法の本意が実現できるように念願したとされている。


   

(上図は快慶作 阿弥陀如来立像 東大寺俊乗堂 『日本美術全集10運慶と快慶』講談社より )

 しかし、心を凝らして仏を観想することは「戒定慧」の三学の一つである「定」が必定であり、「凡夫の心は物に従って移りやすく、例えれば笊のごとく散乱して一心鎮まりがたし」と乱想の凡夫を自認する三学非器の自分ではとても無理であると悟った法然は、更に深く道に分け入り「仏告阿難」で始まる『観無量寿経』(※3)の「即是持無量寿仏名(そくぜじむりょうじゅふつみょう)」に注目し、「念ずるとは阿弥陀仏の名をひたすら称えることである」を凡夫の法門とすべく論証に取組む。

(※1)『無量寿経(むりょうじゅきょう)』:仏典の一。2巻。浄土三部経の一。無量寿阿弥陀)仏の48願と極楽の様子および極楽往生の方法を説いたもの。

(※2)五逆(ごぎゃく):<仏>5種の罪悪。父・母・阿羅漢を殺す事、僧団の和をこわすこと、仏の身体を傷つけること。これを犯せば無間地獄に堕ちるという。五逆罪。

(※3)『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』:浄土三部経の一。釈尊阿弥陀仏とその浄土の荘厳を説いたもの。 


参考資料:『念仏の聖者 法然』 中井真孝 編  吉川弘文館
  
     『鎌倉仏教』 田中久夫 講談社学術文庫