外国と私(1)1977年サンフランシスコ 空港のトイレ

 私が始めて海外旅行をしたのは1977年(昭和52)で33歳の時であった。その動機は当時友人と通っていた飯田橋英会話学校の成果を試す為であったと思うが、ビートルズ全曲を英語でマスターしたい団塊世代の友人と異なり、連れ習いの私には英語修得にさしたる熱意もなかったから、しょっちゅう授業を混ぜ返して金髪碧眼のイケメン教師から“Quiet Sako !!”を連発される始末であった。

 当時のドル/円レートは200円位であったと思うが、長い間1ドル360円で固定されていた円が1973年2月に変動相場制に移行して以来、オイルショックなどで乱高下しながらも結局5年足らずで大幅に切り上がった事も憧れのアメリカ旅行へ踏み出すキッカケになったと思う。それでも、ささやかなOLがお小遣いに使えるのは精々10万円くらいであったから、交換した500$を懐深く仕舞いこんでJTBの「サンフランシスコ・ロスアンゼルス・ハワイ」パックツアーに参加した。

 約35年前の記憶を手繰り寄せると鮮やかに眼に浮かぶのは、初日の出を祝う日輪模様のお猪口と日本酒で、まさか雲上で、大好きなサキイカやおつまみと日本酒で新年を寿ぐとは、続けて並べられた山葵つきの日本蕎麦と共にJALの行き届いたサービスに感激したものだった。

 当時は昨今のように早々と仕事納めをする状況ではなく、サラリーマンは12月30日午前までしっかり働き、午後から掃除と仕事納めの懇親会を終えて夕方近くに退社していたから、年末年始休暇を活用してのツアーの出発は12月31日というのが当たり前であった。

 日本酒のお屠蘇とお蕎麦でいい気分になって「いよいよアメリカの地を踏むけど私たちの英語が通じるかしら」などとはしゃいだり、とろとろ眠りに陥ったりしているうちに飛行機はサンフランシスコ空港降りたち、私たち乗客は無事着陸を拍手と歓声で祝したのだった。

 JTBさんの用意万端のお陰で入国審査は「サイト・シーイング」と発するだけで無事通り抜ける事ができたのだが、一目散にトイレを目指した私は目的地の前でギョッとして足を止めた。




 ドアの下からニョッキと足が覗いて何ともリアルな動きをしているではないか。確かにトイレといえども必要最小限だけ覆い隠せばよいとは思うが。