新古今の周辺(49)源頼政(4)父・仲政(1)家人一家を成す

清和源氏源頼光の曾孫に当る頼政の父・仲政(仲正とも書く)の生没年は未詳だが、三河守頼綱を父として治暦2年(1066)頃生まれ、崇徳天皇治世下の保延3年(1137)以後に没したとみられる。

源頼政の直系略図】 源満仲→頼光→頼国→頼綱→仲政→頼政→仲綱

仲政の武士としての動静や事績はつまびらかではないが、堀河天皇の応徳3年(1086)の蔵人所雑色を皮切りに嘉保2年(1095)に六位蔵人、永長元年(1096)に検非違使、その後は皇后宮大進を経て下総守に任じられて下向し、さらに下野守を経て従五位上兵庫頭に至っているが、この背景には摂関家白河院及び鳥羽院の信任があったとされる。

他方で仲政はこれらの任務の傍らに、藤原俊忠・家成・顕広(後の俊成)などの中級貴族と歌による親交を深めて歌合に連なり、さらには、頼政を筆頭に頼行・三河(忠通家女房、千載集入集)・皇后宮美濃(金葉集入集)らの子女を勅撰和歌集や私家集などに名を留める歌人に育て上げている。

家人・仲政の一端を表わすものとして、勅撰和歌集『詞花集』の「雑」から、父頼綱とも親交のあった当時の歌壇のリーダー源俊頼との贈答歌を採りあげたい。

下総の守にまかれりけるを はてゝのぼりたりけるころ源俊頼朝臣に遣しける 源仲政

あづま路の八重の霞をわけきても 君にあはねばなほへだてたる心地こそすれ

返し    源俊頼朝臣

かきたえしまゝのつぎはしふみゝれば へだてる霞もはれてむかへるがごと

参考文献:『人物叢書 源頼政』多賀宗隼 日本歴史学会編集 吉川弘文館