押し詰まった12月28日の平重衡による南都焼き討ちから年が明けた養和元年(1181)(※1)は、松の内もとれない1月14日の高倉上皇崩御から始まった。後白河院と平清盛との唯一の細い絆であった上皇は、病弱な上に父と義父との軋轢による緊張と福原…
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