下図は東寺の供僧が肥後国飽田(あきた)郡鹿子木(かのこぎ)庄の支配権を巡る争いに介入して、自分が開発領主権の継承者であることを証明する根拠として訴状に添えられた鎌倉時代末期の永仁年間(1293〜98)に書かれたとされる権利主張の文書である…
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