後白河院の第一皇女亮子(りょうし)内親王は以仁王や式子内親王の同母の姉に当り、卜定された伊勢斎宮を同母の好子内親王に交替した後は、安徳天皇の准母及び後鳥羽天皇の国母として皇后に叙せられ、皇后を辞した文治3年(1187)に女院号を賜り殷富門…
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