次に式子内親王の『正治初度百首』詠歌から『新古今和歌集』に入集した次の2首を例に、内親王と当時の新風歌人達が歌の上でどのように影響し合っていたかを探ってみたい。
1.式子内親王 新古今和歌集 春下 149
百首歌中に
花は散り その色となくながむれば 空しき空に春雨ぞ降る
この歌は『伊勢物語』の次の歌を本歌とている。
暮れがたき 夏の日ぐらしながむれば そのこともなくものぞ悲しき
次に俊成・定家・良経の詠歌を見てみたい。
俊成 『新古今和歌集』恋二 1107
思ひあまり そなたの空をながむれば 霞を分けて春雨ぞ降る
定家 『拾遺愚草員外 690』
思ひかね 空しきそらをながむれば 今宵ばかりの春風ぞ吹く
良経 『秋篠月清集 642』
わたのはら いつもはかはらぬ波の上に その色となく見ゆる秋かな
2.式子内親王 新古今和歌集 秋下 534
百首歌たてまつりし秋歌
桐の葉も 踏みわけ難くなりにけり 必ず人を待つとなけれど
勅撰集に桐の葉を詠んだ歌が採られたのは式子内親王の詠歌が初めてである。と、同時に、この歌が白居易の漢詩句に
依拠していることから、内親王が漢籍に通じていた事が窺える。
ところで藤原定家は式子内親王より早い建久二年に次のように「桐の葉」を詠っている。
定家 『拾遺愚草 748』
夕まぐれ 風吹きすさぶ桐の葉に そよ今さらの秋にはあらねど
さて、後鳥羽院が元久元年(1204)に次の歌を詠んでいるが、単に式子内親王の「桐の葉も」を、「庭の雪も」に
置き換えたに過ぎず、今なら「コピペ」と非難囂囂であろう。それだけ、後鳥羽院が叔母の式子内親王の歌の才能に心
酔していたと言うことかもしれないが。
後鳥羽院 『後鳥羽院御集 1250』
庭の雪も 踏みわけ難くなりぬなり さらでも人を待つとなけれど