隠居のHarvard Summer School 留学記(12)

2004年7月12日(月)
【週初めは散々】

楽しいお買い物の週末が祟ったわけでもあるまいが、今週の出足は躓きから始まった。先ず、小説『Montana 1948』のP19〜P54の感想を[JOURNAL of Montana 1948]にまとめて提出するのが今朝一番だったのを明日と勘違いしていたこと。

次の躓きは午前の授業で、二人でチームを組んで英作文教科書『BLUE PRINTS』の例文の要点をディスカッションし、それのSummaryを連名で提出する事になったのだが、事前に例文に目を通しておくようにとの先生の指示を怠ったために実りある議論が出来なかったばかりか、Summary作成も台湾人ビジネスマンのE氏に丸投げしてしまった。


【時には打ちのめされる事も必要か】

午後のWorkShopは、今週金曜午後に予定されている全レベルの英語研修学生が対象の教授によるレクチャーを前に、内容をより深く理解するために30ページ前後の講演資料をベースに4〜5人のチームで議論し、チームの代表がその要点をまとめて発表するものだった。

しかるに私は講演資料に目を通したものの、高度で専門性の高い内容を理解できなかったため積極的に発言する事が出来ず、そんな自分と比べてテキパキと議論をリードし、要点を抑えた報告をした韓国人の若い女性の姿に打ちのめされてしまった。

最近授業のテンポについてゆけなくてぼんやりしてしまう事がある。レベルの高すぎるクラスにいるのではないかと思う事もある

ビジネスや様々な分野で急速に英語の公用語化が進むEU圏や、小・中学校の早い段階から第二公用語としての英語教育を推進している台湾やインドから来た若い世代と、英語に無縁の職場で定年まで働き、還暦を迎えて記憶力も集中力も衰えた私が同一地点に立っているのだ。

考えてみれば定年退職するまでの私は井の中の蛙であった。世界から集まった自信満々の若い世代と机を並べて時には打ちのめされるのもいいではないかと開き直ることにした。