矯めつ眇めつ映画プログラム(33)「殺意のサン・マルコ駅」

 「殺意のサン・マルコ駅」とはおかしなタイトルである。駅が殺意を抱くのかいな?などと揚げ足を取ってみたくなるが、それでも新聞の片隅の小さな広告に惹かれて映画館に足を運んだくらいだからキャッチ・コピーの役目を果たしていたのであろう。


 この映画はイタリアの過疎ともいえる小さな駅舎で起こった一夜の出来事を、主演も兼ねたセルジオ・ルビーニが1990年に監督した作品で、登場人物は彼も含めて三人だけ、台詞らしい台詞は余り無く、どちらかといえば静寂をベースに、時を刻む時計の音、コーヒーがフィルターから滴る音、車をぶっ壊す音、ドアを叩きまくる音、ドアがミシミシと壊れる音がドラマを盛り上げ、登場人物の表情や交わす目配せでサスペンスフル溢れる作品に仕上げている。


 舞台は激しい雨が降る夜の小さな村のサン・マルコ駅舎。顔も背丈もひょろ長い青年が耳を澄ませているかと思うと、時おり「○分○秒」、「○時間○○分」などと呟く。制服姿の彼は若い駅長で夜勤をしているのだ。この青年はたった一人で過ごす長い夜を、コーヒーがフィルターを漉して滴り落ちるまでの時間や、大きな戸棚の壊れた引戸が定期的に落ちてくるまでの時間を正確に計り、外国語のフレーズを繰り返し繰り返し口にして語学の勉強をする事で過ごしている。


 そんな彼の大切な静寂を破って、怯えた表情の夜会服姿の美しい女性が飛びこんでくる。彼女は急いでローマに発ちたいと駅長に訴えるが、こんな田舎ではローマ行きの列車は翌朝まで待たなければならない。こうして田舎の青年駅長と都会の上流階級の女性は予期せぬ事態で時間を共にすることになるのだが、飄々とした青年のおっとりとした構えに怯え切っていた娘の気持ちは次第に鎮まり、二人は互いに関心を抱き始めポツポツと言葉を交わすうちに、彼女が婚約者から追われていること、その男は自分の野心を実現するために実力者の令嬢である彼女との結婚が不可欠で、いまや、必死の形相で彼女を探している事が明らかになる。


 やがて、その男が駅舎を突き止め、彼女に戻るようにと説得するが、彼女から拒否されると引き返し、酒に酔って再び現われ力ずくで彼女を連れ去ろうとするが、青年駅長は婚約者を戸外に追い出し駅舎に鍵をかけ鎧戸を降ろしてしまう。


 怒り狂った婚約者は電話線を切り、駅長の車に火をつけ、ハンマーでドアを打ち壊し、駅舎に入ろうとしたまさにその瞬間に、戸棚の引戸が直撃して彼は気を失って倒れる。この一連の長いシーンに台詞は殆ど無く、音・音・音に反応する女性の目の表情で観客は恐怖感を感じ、他方で落ち着き払って何かをじっと待っているような青年駅長の表情で次に何かが起こると期待する。


 几帳面で数字好きの青年駅長が、大きな戸棚の壊れた引戸が定期的に落ちるまでの時間を計算して、そのドンピシャの時間にドアを開け酔っ払った婚約者がその下に立つように仕向けたのだ。ホッと安堵の顔を見合わせる二人、どちらからとも無く二人は抱き合いキスを交わす。


 その後この二人がどうなるのかわかりません。制服姿の田舎の青年駅長とグラマラスな夜会服の都会の令嬢、日常生活では決して出会うことの無い組み合わせのドラマ、幻想的な一夜の大人のおとぎ話としてはよく出来ておりました。


 ともあれ、人里はなれた駅舎でたった一人で夜勤をしていても、孤独感にさいなまれる事なく自分の時間として悠々と過ごす事が出来る人間はいるものです(写真はプログラムから)。