風呂敷に見る江戸時代の美意識

 ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性大臣が「もったいない」の象徴として日本の風呂敷を賞賛したとか、しなかったとか、いずれにしても省エネを強く意識する時代に、風呂敷が復活する動きがあるのは喜ばしい事ではある。

 私は3年前に40年間勤務した会社を定年退職するに当たって、仕事の上でとりわけ私をサポートしてくれた上司たちや仕事仲間、そして私が担当した広報業務を通してお世話になった社外の人達や、私の新しい門出を祝福してくれた近しい友人達に、感謝を込めて風呂敷を贈ったのだった。そして、今、自分用に取っておいた風呂敷を取り出して眺めると、改めて江戸時代の洗練された美意識に見とれてしまう。

 この二枚は歌舞伎座前の「大野屋」で調達したものだが、「粋」で情緒纏綿たる風情が漂い、これは、どちらかといえば、廓やお茶屋遊びの衣装を偲ばせる。例えば、祇園の一力茶屋で、本心を隠して戯れる大石蔵之助とお軽の場面を思い起こさせてくれるのだ。


          

       
          

 また、こちらは、ご存知、谷中の「いせ辰」で調達した、私の大好きな唐桟縞で、江戸時代の羽振りの良い商人のイメージが立ちのぼる。こちらの柄も「粋」であるが、情緒纏綿さをさっと振り切った歯切れのよさが身上だ。

          


江戸時代の日本にあって、今の日本に欠けている「何か」、それは、「粋」なのかな。