「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う」は落語の崇徳院でお馴染だが、後白河院の兄の崇徳上皇は歌人としても優れていた。また、息子の高倉天皇も仕えた歌人の藤原定家の手ほどきもあってか、幾つかの歌を残しているが、後白河院が和歌…
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