独り善がり読書(9)2006.02.08 アカデミー賞ノミネート監督の本音の議論「News week」より

私が定期購読していた頃のNews weekは、毎年2月頃になると、アカデミー賞にノミネートされた俳優か監督たちを招いて、他の雑誌では見られない本音の議論で読者を楽しませてくれていた。

 

さて、2006年2月6日号では、その年のアカデミー賞の作品賞と監督賞にノミネートされた5人の映画監督の興味深い円卓討論を掲載していた。

 

因みに出席者は、ジョージ・クルーニー監督(「グッドナイト&グッドラック」)、ポール・ハギス監督 (「クラッシュ」)、アン・リー監督(「ブロークバック・マウンテン」)、ベネット・ミラー監督(「カポーティ」)、スティーブン・スピルバーグ監督(「ミュンヘン」)の5人。 

 

 

 



それぞれの作品についての詳しいことは私には分からないが、この記事を読んだ限り、2006年のアカデミー賞ノミネート作品が、例年になく、政治、テロ、同性愛、人種差別など社会的なテーマを扱った作品が際立ち、いつもの華やかなお祭り騒ぎとは大きく一線を画していたように思う。

なかでも、ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手団がパレスチナ・ゲリリラの襲撃を受け、その報復を目指す若きテロリストを描いた「ミュンヘン」のスピルバーグ監督と、1950年代のアメリカで“赤狩り”を強行したマッカーシー議員に対して、真っ向から闘いを挑んだCBSニュースキャスター、エド・マローの実話を描いた「グッドナイト&グッドラック」のクルーニー監督は、ブッシュ大統領と彼を取り巻くネオコンサバティブ全体の動きに強い危機感を持ち、いまこそ自分が感じていることを表明し、そして議論をすべきだと感じた、と、それぞれの作品への思いを語っていた。

私はこの記事から、アメリカの映画人たちがブッシュ政権に強い懸念を抱いている事を知ったと同時に、骨太の知性を持つ監督、俳優、スタッフを初めとするアメリカの映画人達が闘っていることを知った。

 

 

 

独り善がり読書(8)「News weekアジア版」定期購読事始め

嘗て私は、20年以上に亘って「News weekアジア版」を定期購読していた。そのきっかけは、1985年に導入の男女雇用均等に伴う職系転換試験をパスするためであった。

 

その試験科目は、一般社会問題、ビジネス問題、そして英語の三科目で、第一回目の転換試験で英語問題に出くわしたとき、私は横文字を見ただけで頭がくらくらして、他の二科目は高い得点であったにも拘わらず、英語の試験結果は散々であった。

 

そのため、とにかく英語の力を急速につける必要を感じ、高い授業料を支払って退社時間後に英会話クラスに通うと共に、「News weekアジア版」の定期購読を開始し、毎日の往復の通勤電車でそれを読む事を習慣づけたのである。

 

その結果、第三回目の試験の英語科目で上司も目を剥く高得点を出して、目出度く試験をパスしたのだが、そういう動機から読み始めた「News weekアジア版」だが、その後は、日本人の視点からの情報だけではなく、アルファベット圏の視点から世界や日本を見る必要を感じて、定期購読を続けていたといったほうが良い。

 ところで、2005年11月21日号の「News weekアジア版」を振り返ると、グローバル経済で俄かに好景気に沸き立つアジア圏で急速に広がっている、「一日に1ドルか2ドルで暮らす最貧層の増加」を、カバーストーリーとして、詳しく取り上げていた。特に、インドネシア、中国、インドに最貧困層が急拡大しており、中でも、中国は今後、貧困が社会不安の大きな要因になるであろうと報じていた。

 


 そして、表面的には世界で一番貧しい地域はアフリカとうけとられているが、実態はアジアの方が人数の大きさからも、問題の根深さからも、貧困の度合いが大きいとも。

 グローバル経済には、眩い光の部分ばかりでなく、コインの表裏のように、陰の部分も急速に進行していることを、忘れるべきではないと、レポートは私たちに警告しているようだ。

 

ところで、今振り返ると、20年以上に亘って「News weekアジア版」を定期購読していた蓄積が、2004年の5月に60歳で定年退職した直後の6月末から始まり8月末に終了するハーバード大学のサマースクールに短期留学して、世界から集まった私の子供や孫の世代と机を並べて、低いレベルではあったが、互いに第二言語の英語でコミュニケートする機会に参加できたのだとつくづく思っている。

 

 



 

独り善がり読書(7)「ルービン回顧録」~官民の人事交流、日米の違い

2005年11月頃に「ルービン回顧録」を読んだのだが、著者のロバート・ルービン氏は、ウオールストリートのトップ企業ゴールドマン・サックスの共同経営者から、クリントン政権発足に伴い新設された国家経済会議の議長に就任し、その後財務省長官を務め、メキシコ危機、タイ・韓国で起きたアジア通貨危機、そしてロシア危機と幾多の世界経済危機を乗り切って、「アメリカ始まって以来の名財務長官」と称された。 

 

 

 アメリカでは、大企業の経営者が政権のスタッフや閣僚に頻繁に就任するが、その殆どは共和党政権に参加する。しかし、ルービン氏は富裕でありながら、政府が継続的に貧困対策を重視し、国家予算を割くことは、アメリカ経済と社会の安定に不可欠であるという固い信念に基づいて、民主党の支援活動を一貫して続けていた。

 

私は、この本を読んで、ホワイトハウスの運営がどのように行われているか、とりわけ、若くて優秀なスタッフがどのようにしのぎをけずって、アメリカの国益のため、それぞれのキャリアの為に、職務を全うしているかを知ることが出来た。

  

そして、何よりの収穫は

  • グローバル経済とは、一国の経済危機はその国だけにとどまらず、世界の経済システム全体を揺るがすという事、
  • 私達は、世界経済が極度に密着している時代に生きていること

を、知ったことである。

 

今や、どの国においても、官も民もグローバル経済の影響を受けずにはその存在は成り立たない。ましてや、日本のように多様な角度から改革に直面している国では、市場を熟知した人間が、どんどん官界や民営化企業のトップに就任し、逆に若手の官僚が頻繁に民間企業と行き来できる柔軟な人事体制を採るべきだと、この本を読んで私は思った。

 

とは言うものの、この本は540ページに及ぶ大作で、しかも、図書館で借りていたので返却日が迫り、やっと380ページに達したところで中断しなくてはならなかった。

独り善がり読書(6)「being digital」and「The End of Work」

ところで、短期間のメンバーであった「Book-of-the-Month-Club」を経由して私が購入した本は、カズオイシグロの小説2冊、ペーパーバック小説数冊、そして「being digital」と「The End of Work」であったが、いずれにしても私の英語力で太刀打ちできるわけではなく、全てにじっくり目を通したとは到底云えるものではなかった。

 

そんな中で、今では内容をすっかり忘れてしまったが、それでもあの時に読んでいて良かったと思える書籍は「being digital」と「The End of Work」の2冊である。

 

先ず、「being digital」は、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの創設者で所長を務めていたニコラス・ネグロポンテが著したもので、拙い英語力しか持ち合わせせていない私にとっては、電子英語辞典と首っ引きで読み通すのは、絶え間ない目の霞みや肩と首の凝りを耐えながらの難行であったが、同世代の中でぶっ飛んだ「デジタルオタク」を自認する私としては、デジタルが展開する新しい世界を知りたいという渇望で読み切ったと言うほかはなかった。

 

そのお陰で、私は「mixi日記」を早い段階から書き始め、その後は現在に至るまで延々と「はてなブログ」を書き続けている。

 

   

次の「The End of Work」は、20年間に亘って欧州連合執行委員長の顧問を務め、かつ、ワシントン経済動向研究財団の設立者であり理事長でもあった、社会学者・経済学者のジェレミー・リフキンが著したもので、その時の私は、会社員としての自分の仕事が定年退職まで維持できるかの不安を少しでも解明する手がかりが欲しくて、やはり、英語辞書と首っ引きで読んだものだった。

 

 

ところで、2023年9月26日の新聞広告には、ジェレミー・リフキン著「レジリエンスの時代」(集英社)発売の広告と、今をときめく経済思想家の斎藤幸平氏を含む登壇者との来日記念シンポジウムの知らせが掲載されていたが、この記事を見る限り、リフキン氏は、まだ、まだ、第一線でエネルギッシュに活躍されておられるようだ。

 

独り善がり読書(5)ミケランジェロ還暦後の快挙 「The Sistine Chapel A Glorious Restoration」

 

「The Sistine Chapel A Glorious Restoration」は前回の「The White House Collection of American Crafts」と同様にBook-of-the-Month-Clubの特典で入手した一冊である。

 

 

 

 

 

この美術書は、バチカン美術館と当時のイタリア在住の日本人写真家、岡村崔氏(2014年2月に86歳で亡くなられた)との協同による、大修復直後のシスティン礼拝堂天井絵を、300枚の美しい写真に収めた大分なアルバムであり、どのページをめくっても、力強いミケランジェロの気迫が立ち昇ってくる。

 

また、子供達の頬の柔らかさ、苦悩する顔の皺の深さ、かっと見開いた眼の勢い、慈しむ目の優しさ、突き出した腕の筋肉の堅さ、指の先から放出するエネルギーの強さ、口から漏れるうめき声など、部分、部分における描写をじっくり味わえるのもこのアルバムの魅力である。

 

しかし、ミケランジェロのこの作品は、あくまでも、システィン礼拝堂の床から天井を仰ぎ見て、初めて作者の意図や、作者の吹き込んだエネルギーの方向が感じられるように造られているように思えて「やはりローマに行かなければならないか!」、が、これを手にした直後の私の実感であった。

 

あれから30年近くを経て、私は、パナソニック 汐留ミュージアムで開催された「ミケランジェロ展 - ルネサンス建築の至宝」(2016年6月25日~8月28日)に足を運んだのだが、そこで、システィン礼拝堂天井絵が、旧約聖書から「創世記」の9つの場面と12人の預言者と巫女を天井画という建築的な枠組みのなかに見事にひとつにまとめあげたものであるとともに、天井からしたたる絵具を顔面に受けながら、のけぞるように立ったまま描くという至難の姿勢によって産み出されたという事、さらにはミケランジェロが61歳から66歳にかけて手掛けた作品であることを知り大いに驚かされたのだった。

 

 

独り善がり読書(4)ヒラリー・クリントンの置き土産「The White House Collection of American Crafts」

もう30年以上前のことだが、私は、アメリカが本拠地の書籍割引販売を売り物にした「Book-of-the-Month-Club」の短期間会員だった事がある。

 

その仕組みは、自宅に二ヶ月に一度の頻度でカタログが届き、その中から気に入った本を選び、申込書を航空便で送れば、注文した本は船便で届くという、まことにのどかな時代であった。

 

このクラブは、販売促進策として、例えば、ハードカバーを三冊購入した実績があれば、数ドル支払うだけで、比較的高価な装丁の美術書等を指定のリストから選べるという特典を設けていた。

 

「The White House Collection of American Crafts」は、その特典で入手した一冊で、ホワイトハウスのあちこちの部屋に飾られていた作品を元に、クリントン大統領の夫人で当時のホワイトハウスの女主人であったヒラリー・クリントンが編集したものである。

 

作品の中に日本の志野茶碗も見られるが、主として1990年代前半のアメリカ人の作品から選ばれ、ガラス、金属、陶磁器、繊維、木、と、材質別に美しい写真が配置されている。

 

 

 

 

このアルバムは、ヒラリー・クリントンの好みが反映されていると言えなくも無いが、私にとっては、アメリカの、ある時代の現代美術を知るに格好の一冊でもあった。

 

   

 

 

独り善がり読書(3)近所のBOOK-OFFで一冊105円の至福

2005年頃から、私は近所散歩のついでにBOOK-OFFに立ち寄るのが習慣になったが、その頃はスーパで買い物をすると同じ感覚で、店備え付けの買い物籠を抱えて、ポンポン本を買い込んでいる人が目に付いた。これは、BOOK-OFFが105円コーナーを設けて以来である。

 

ところで、定年退職前の、会社員時代の私の書籍代は、週刊誌の「日経ビジネス」、英語学習と情報収集のための「ニューズウィーク・アジア版」を含めて、月に1万5千円をゆうに超え、賞与の月は3万円を超えることもしばしばあった。

 

特にビジネス書籍は、これはと思うものは、金に糸目をつけないくらいに、発売と同時に買い込んだものだった。まあ、それ位勉強をしないと、変化の激しいビジネス環境で、組織に埋没することなく、自分の存在感を保って長く働くことは出来なかったので、私自身はこれらの書籍代は働き続けるためのコストと位置づけていた。

 

そして、定年後は、すっきりと暮らすことにして、大半の書籍は資源ごみと古本屋で処分し、「これからは、図書館があるさ」という気分に切り替えた。

 

それでも、図書館から本を借りるのは、返却や貸し出しが案外に面倒で、特にじっくり読みたい本は3週間の貸し出し期間では落ち着いて読めない。

 

特に定年を機に、これまで走り読みしてきたミステリーを、じっくり読み直そうと計画を立てていた私にとっては、公立図書館の活用はある面で限界もあった。

 

取り分け、優れたミステリーには謎解きだけでなく、事件の背景となる時代や都市の描写、登場人物の性格、属する階級に伴う生活スタイルや嗜好、そして薀蓄などの細部の表現をじっくり味わいたいと思わせる魅力がある。

 

そんな中でも私の場合は、「メグレ警視」と「ポアロ」は別格にして、「ロンドン警視庁ジュリー警視」、「オックスフォード警察モース主任警部」、「ストックホルム警察本部マルティン・ベック主任警視」シリーズをじっくり読み直したかった。どうやら私は警官小説が好きなようだ。組織の中で長く働くうちに「組織と人間の葛藤」「組織の中の人間と人間のぶつかりあい」に共感を抱くようになったからか。

 

 

そんなわけで、私は、BOOK-OFFの105円コーナーから、上記のシリーズを始め、古典的なミステリー作品のを買い始めた。ページや装丁が傷んだものから105円のコーナーに移されるのだが、人気作品は直ぐに売れる。まるで掘り出し物を探すようにマメに書店に足を運ばなければならない。

 

印税を主たる収入源とする作家と出版社には申し訳ないが、本好きにはとても有難い時代だと105円コーナーに感謝している。