独り善がり読書(26)2005年10月 メグレ警視とジャン・ギャバン

 

定年退職後の楽しみの一つに、好きな作家のミステリー小説を、食事も、風呂も、そっちのけにして、翌日の出勤を気にしないで心行くまで読めることが挙げられる。

 ジョルジュ・シムノンメグレ警視シリーズは30年に亘る付き合いになるが、私はこのシリーズを繰り返し、繰り返し読んできた。

 

買いも買ったり、河出書房版

 

希少価値と化した早川書房のポケットミステリー版

 

ミステリー大好きの私のこれまでの経験から言っても、ミステリー小説で繰り返し読むに耐える作品はそんなに多くない。犯人が分かってしまえば、その本を二度と手にする気がしないのが普通だ。松本清張作品は別だが。

 私にとってのメグレシリーズの魅力は、パリ警視庁の彼と彼のお馴染みの個性的な部下(リュカ、ジャンヴィエ、ラポワント、トランス)とのチームワーク、そして家庭における彼とメグレ夫人との相和する関係、料理上手なメグレ夫人のメニュー(メグレ夫人のクッキングブックも書籍化されている)、パリの季節ごとの描写や、そこで生きる人たちの描写など、たくさんある。

 そして何よりも際立っているのは、推理小説でおなじみの、指紋や足跡を調べたりする場面が、このシリーズでは殆ど出てこない。せいぜい、凶器となった拳銃の型を調べるくらいである。部下に聞き込みをやらせるが、それはアリバイのためではなく、被害者の生活、性格、おかれた状況を把握し、メグレ自身が被害者になりきるための準備作業に過ぎない。彼は被害者に共感してゆくのである。

 彼は、被害者になりきって、被害者と被害者を取り巻く人間の心理を嗅いで行く。そして、あるとき突然場面が一転して、物凄い迫力で終局に向かう。舞台展開としては「起承転結」ではなく、能の「序破急」である。どの時点で、一転するか、その過程が、読み返すごとに味わいが増すという不思議な作品だ。

 その魅力的な男、 メグレ警視ジャン・ギャバン が演じるというので、映画館に足を運んだ。メグレ警視の生まれ故郷を舞台にした「サン・フィアクル殺人事件」と、原作「メグレ罠を張る」をアレンジした「パリ連続殺人事件」の二作である。

 

   

 

     

写真は映画プログラムから

 

 口が重く、愛用のパイプをくゆらし、厚地のオーバーコートを着込み、何よりジャン・ギャバンがパリの街にしっくり溶け込んでいたことがメグレにぴったりだったと思う。特に「パリ連続殺人事件」の背景となったモンマルトルのゴミゴミとした街並と、そこで暮らす人たちの描写が生き生きとして素晴らしかった。