後鳥羽院は建久9年(1198)に土御門天皇に譲位して以後、承久3年(1221)隠岐に配流されるまでの24年間に実に27回も熊野御幸を行ない、その途次で王子社などで催された当座歌会の和歌懐紙が現存している。
ここでは、正治2年(1200)の冬季御幸に同行した寂蓮の熊野懐紙『古渓冬朝 寒夜待春』(国宝 陽明文庫蔵)を採りあげてみたい。この懐紙は歌題二首を詠進したもので次のように書かれている。
詠二首和歌 沙弥寂蓮上
古谿 冬朝
つまぎこるむかしのあともしられけりゆきよりおろすたにのきたかぜ
【現代語訳:昔 薪にする小枝を採った跡もわかることだ。雪がふり下ろす谿谷より吹き込んでくる北風よ】
寒夜 待春
旅寝するやまのはさゆるしらくものはなにこゝろをならしそむらむ
【現代語訳:旅寝をして、山の稜線のあたりが冷え込んで、その白雪が春になって花が咲く気持ちに慣れ親しませてくれる】
(『書と墨画のグラフ誌 墨 1985年7月号』より)
ところで寂蓮は和歌の他にも能書家としても高く評価され、幾つかの作品が現存しているが、そのなかから『一品経和歌懐紙』(国宝・京都国立博物館蔵)を観てみたい。
この『一品経和歌懐紙』は二首懐紙で、一首は法華経の各品を題として詠み、一首は「述懐」を題として詠んだもので次のように書かれている。
安楽行品 寂蓮
若於夢中 但見妙事
のりのためつとめてのちにみしゆめやねむりさむべきはじめなりけむ
述懐
たのむぞよあまついはとをわけきてもちりにひかりのかよふあはれは
一首目の「安楽行品」の歌は、法華経の「妙法蓮華経安楽行品第十四」の経文中の「若於夢中 但見妙事」の句を典拠として詠み、その歌意は、仏道修行に励んで後に見た夢は、眠りから覚め、仏道の真理を知るきっかけになるのであろう。
二首目の「述懐」の歌意は、たよりにすることだよ。高天原の岩戸を引き開けても、仏や菩薩が、この世の人々を救済するために、その威徳の光を和らげ、いろいろな姿となって俗塵に満ちたこの世に現れる、何とも趣のあることよ。
(『書と墨画のグラフ誌 墨 1985年7月号』より)
参考文献:『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版