新古今の周辺(8)鴨長明(8) 師・俊恵(4)後鳥羽院のお墨付・

新古今和歌集』のパトロンであり、かつ、事実上の編集者であった後鳥羽院は、歌論集『後鳥羽院御口伝』で源経信・俊頼・俊恵に至る三代の歌人を高く評価し、近き世の歌の上手について述べる導入部に俊恵の祖父・源経信を挙げ、

「大納言経信(※1) 殊にたけもあり、うるはしくして、しかも心たくみに見ゆ」

と評し、そして新古今和歌集に経信の歌を19首採用している。

その経信に次に俊恵の父・俊頼を選び、

「又、俊頼(※2)堪能の者(もの)なり、哥(うた)の姿(すがた)二様(やう)によめり。うるはしくやさしき様(やう)も殊(こと)に多く見ゆ。又、もみもみと、人はえ詠(よ)みおほせぬやうなる姿(すがた)もあり。この一様(やう)、すなはち定家卿が庶幾(しょき:こいねがうこと)する姿なり・・・・・・」

と、これ以上はないと思われる評価を与え、新古今和歌集では俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)の名前で次の11首を採用している。

巻第一 春歌上  梅花遠ク薫ルといへる心をよみ侍りける
43 心あらば とはましものを 梅の花 たが里よりか にほひ来(き)つらむ
【現代語訳:もしも梅の花に心があるならば聞こうものを、「いったいだれの住む里から匂ってきたのだい」と】

巻第三 夏 歌 雲遠望ヲ隔ツといへる心をよみ侍りける
266 とをちには 夕立すらし 久方(ひさかた)の 天(あま)の香具山(かぐやま) 雲がくれゆく
【遥か遠くの十市(とおち)の里には夕立が降っているらしい。天の香具山がみるみる雲に隠れてゆくよ】

巻第五 秋歌下 障子の絵に、荒れたる宿に紅葉(もみぢ)散りたる所をよめる
533 ふるさとは 散るもみぢ葉に 埋もれて 軒のしのぶに 秋風ぞ吹く
【古里は散りかかる紅葉にすっかり埋まってしまい 昔をしのばせる軒のしのぶ草に秋風がさびしく吹いているよ】

巻第六 冬 歌 深山ノ落葉といへる心を
557 日暮るれば あふ人もなし 正木(まさき)散る 峯のあらしの 音ばかりして
【日が暮れると山路では行き遭う人もいないよ。まさきのかずらを散らす、峰の山風の音ばかりがさびしく聞こえて】

巻第十二 恋歌二 年を経たる恋といへる心を読み侍(はべ)りけり
1085 君恋ふと 鳴海(なるみ)の浦の 浜ひさぎ しをれてのみも 年をふるかな
【あなたを恋する身となって 鳴海の浦の浜久木がしおれているように わたしは多年ただ泣き濡れて過ごしています。かわいそうだと思って下さい。】

巻第十三 恋歌三 初メテ会フ恋の心を
1164 蘆(あし)の屋(や)の しづはた帯の 片結び 心やすくも うちとくるかな
【蘆葺(あしぶ)きの小屋に住む女が片結びに結んでいる賤機(しずはた)帯がとけやすいように あの子は心安くもわたしにうちとけたよ】

巻第十六 雑歌上 題しらず
1472 さくらあさの をふの浦波 立ちかへり 見れどもあかず 山なしの花
【苧生(おう)の浦の波が寄せてはかえるように 幾度立ち戻って見ても見飽きない、山梨のはなよ】

巻第十七 雑歌中 明石(あかし)の浦をよめる
1600 海人小舟(あまこぶね) とま吹きかへす 浦風に ひとり明石の 月をこそ見れ
【海人の小舟のとまを吹きかえす浦風に吹かれ たった一人で夜を明かしながら、明石の海の上に出た明るい月を見るよ】
(※)とま:船の屋形の屋根を覆っている薦(こも)

巻第十八 雑歌下 題しらず
1791 数ならで 世に住(すみ)の江(え)の みをつくし いつを待つとも なき身なりけり
【物の数にもはいらないままにこの世に住んでいるわたしは、住の江のみおつくしのように、いつ世に出るかを期待することもない身の上です】

巻第十八 雑歌下 述懐百首歌よみ侍りけるに
1816 ささがにの いとかかりける 身のほどを 思へば夢のここちこそすれ
【蜘蛛(くも)の糸が懸っているような危ういこの身のほどを思うと、夢のように悲しい心地がするよ】
(※)ささがに:蜘蛛

巻第十八 雑歌下 題しらず
1836 憂き身には 山田のおしね おしこめて 世をひたすらに うらみわびぬる
【引板(ひた)を張る山田の晩稲(おしね)のように、このうだつのあがらない身を山里にとじこめて、ただひたすら世を恨むことにもあきてしまっているよ】

ところで、俊頼の歌を高く評価したのは後鳥羽院だけではなかった。藤原俊成後白河法皇の命により『千載和歌集』を撰進したが、その勅撰集に俊頼の歌を最高の52首採用し、次に自らの歌を36首収めている。

後鳥羽院の近き世の歌人評は次に釋阿(しゃくあ:藤原俊成)・西行・清輔と続き、

「俊恵法師、おだしきやうに詠みき。5尺のあやめ草に水をいかけたるように哥は詠むべしと申しけり。
龍田山梢まばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな
釋阿優の哥に侍るともうしき」

と、俊恵を挙げると共に「優美である」との藤原俊成のコメントを添えている。

俊恵の『新古今和歌集』入集歌は12首あり、上記の龍田山の歌はその中の451番に当たる(http://d.hatena.ne.jp/K-ako/20141215)。


大納言経信(※1):源経信(みなもとのつねのぶ)。宇多源氏。正二位大納言太宰権、桂大納言と称した。永徳元年(1097)没、82歳。歌集、歌論集、日記を著す。

俊頼(※2):源俊頼(みなもとのとしより)。源経信の息子。従4位上木工頭、大治4年(1129)没、享年75歳頃か。中古六歌仙。歌集の他に当時の歌人に大きな影響を与えた歌論集『俊頼髄脳』を著した。


参考文献:『日本古典文學大系65 歌論集 能楽論集 』久松潜一 西尾實 校注 岩波書店刊行

     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社

     『後鳥羽上皇新古今集は何を語るか』五味文彦 角川選書