描く人願望(7)「お絵描き帳」’69練馬区(1)閑静な住宅街

 1969年頃は西武池袋線練馬区で木造アパートの六畳一間で暮した。一階に大家さんが住み、二階に私を含む4人の店子、風呂なし銭湯通いで共有トイレの掃除も店子の当番制だった。

 だからキッチンの流しで歯磨き・洗顔をし、夜遅く帰宅して銭湯に行けない時は薬缶でお湯を沸かしてタオルで身体を拭きシャンプーも流しでこなした。ユニットバスといった洒落た物など無かった頃だからそれが当たり前だったが、深夜近く銭湯に駆け込むと電灯が半分消されて、薄暗い中でそそくさと身体を洗うのはなんともわびしいものだった。

 何とか大手町に職を得たものの、当時の丸の内・大手町の企業は、縁故と自宅通勤を女性採用の基準にしていたから、地方出身で自活する私にとって、同僚女性の衣装や洗練された身のこなしはひたすら眩しかった。

 さて、その賃貸アパートの窓からは閑静な風景が臨めたが、通勤圏45分以内をターゲットにして探して、最寄り駅から6〜7分、休日の散歩にもってこいの閑静な環境が決め手になった。


 ところが親子三代浅草っ子の友人に言わせると「これじゃあ、痴漢に追われて大きな声を張りあげても誰も助けてくれないから、夜遅く帰る時は怖いよ。浅草だったら商店街が遅くまで開いているから、変な奴につけられてもさっさとお店に入れば助けてもらえる」。

 いわれてみれば確かにアパートの周囲は門構えの家ばかり、その門から玄関までかなり距離があるから、大声で叫んでも家の中まで届かない。ましてや家族でテレビでも観ていたらなおさらだ。

 そんな話をして2、3週間後の夜11時頃だったか、階段をドタドタ上ってくる人がいて、何事かと部屋の戸をあけると(ドアではなく引き戸)、向かいの部屋に住む若い女性が息を切らしながら「痴漢に追っかけられて一生懸命走ってきた」というではないか。