類稀な秀才と謳われ30歳で左大臣に昇進しながら、保元の乱で37歳の短い生涯を終えた悪左府・藤原頼長は、久安3年(1147)の祇園臨時祭での平氏の郎党と祇園社(感神院)所司の小競合いが鳥羽上皇をも悩ます事態に発展した興味深い顛末を日記「台記…
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