壇ノ浦における平家の滅亡により、朝廷への発言力を増した源頼朝の推挙を得て、これまで一貫して親鎌倉の姿勢を貫いた藤原(九条)兼実は、藤原(近衛)基通に代わって文治2年(1186)3月に念願の摂政・藤原氏の長者となる。 ところがこれを不服とする…
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