ここで『八代集』と称される勅撰和歌集の歩みについてお浚いをしてみたい。
(1)『古今和歌集』
最初の勅撰和歌集。20巻。約1100首を収める。
紀貫之・紀友則・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰進。延喜5年(905)に醍醐天皇の勅命によって成立。六歌仙及び撰者らの歌約1100首を収めその歌風は調和的で優美・繊麗とされる。
(2)『後撰和歌集』
第二番目の勅撰和歌集。20巻。1420余首を収める。
展暦5年(951)に梨壺に撰和歌所が設置されて数年ののちに、村上天皇の命により大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔・源順(したごう)紀時文・坂上望城(さかのうえのもちき)の梨壺の5人が撰した。紀貫之や伊勢など前代の夕名歌人や当代の摂関家の人々や多数の女房歌人の歌を採集し情趣的な作品が多い。
(3)『拾遺和歌集』
第三番目の勅撰和歌集。20巻。1300余首を収める。
藤原公任の私選した『拾遺抄』をもとに花山法皇の親撰とされる。拾遺とは古今集・後撰集に漏れた和歌を拾った集の意で寛弘2年〜4年(1005〜1007)頃成立。屏風歌や歌合歌など晴れの舞台の歌を多く収め優美で平淡で調和のとれた歌風とされる。
(4)『後拾遺和歌集』
第四番目の勅撰和歌集。20巻。1200余首を収める。
応徳3年(1086)白河天皇の命により藤原通俊が撰集。『古今和歌集』『後撰和歌集』入集の歌人を除いた「近き世」の歌を収め和泉式部・赤染衛門など女流歌人が多く、目新しさや個性的な歌への指向が見られる。
(5)『金葉和歌集』
第五番目の勅撰和歌集。10巻。約700首を収める。
白河法皇の院宣を奉じて源俊頼が撰に当たり大治2年(1127)嘉納されたが、初度本・二度本とも却下され三奉本を奏状。従来の勅撰集の型を破り巻末に連歌の部を設けた。当代歌人の歌を多く収めて新しい歌風の作品が多く後の『新古今和歌集』の先駆となる。
(6)『詞華和歌集』
第六番目の勅撰和歌集。10巻。約400首を収める。
天養1年(1144)藤原顕輔が崇徳上皇の院宣を受けて撰に当たった。後拾遺集作者曽根禰好忠・和泉式部を首位に、金葉和歌集の歌風を継承。
(7)『千載和歌集』
第七番目の勅撰和歌集。20巻。約1290首を収める。
寿永2年(1183)後白河法皇の院宣により藤原俊成が撰集し文治3年(1187)頃成立。平安中期から当代まで後拾遺集より漏れた歌から撰修。源俊頼・藤原俊成・藤原基俊・崇徳院・和泉式部などの歌を収め、歌風は俊成の理想とする幽玄の趣が見え新古今和歌集の時代を準備するものと言える。
(8)『新古今和歌集』
第八番目の勅撰和歌集。20巻。約1980首を収める。
建仁元年(1201)後鳥羽上皇の宣旨により設けられた和歌拠所の歌人から選ばれた源通具・藤原有家・同定家・同家隆・同雅経・寂蓮(途中没)が撰進。代表歌人は西行・慈円・藤原良経・同俊成・同定家・式子内親王・寂蓮・後鳥羽上皇で、特に俊成・定家の御子左家の新風和歌を中心に据え、「本歌取り」の技法を多く用い、幽玄体と称す感覚的な象徴美が追及されている。