新古今の周辺(6)鴨長明(6) 師・俊恵(2)俊恵の秀歌

『無明抄 60 俊恵の秀歌』で鴨長明は彼の歌の師となった俊恵が

み吉野の山かき曇り雪降ればふもとの里はうちしぐれつつ

を、「かのたぐいひにせむと思ひ給ふる」と俊恵にとっての代表歌に挙げ、もし、後世に俊恵の代表作がはっきりしないようだがと問う人がいたら、「私がこのように言っていたと語ってもらいたい」と俊恵から託された事を記している。

ところで上記の歌は、

新古今和歌集』巻第六 冬歌 題しらず
588 み吉野の 山かき曇り 雪降れば ふもとの里は うちしぐれつつ
【現代語訳:雪が吉野山をかき曇らせてしきりに降る季節になったので、麓の里は幾度もしぐれているよ】

として採られているが、他に次の歌が俊恵法師の名で『新古今和歌集』に選ばれている。

巻第一 春歌上 題しらず
6 春といへば 霞(かす)みにけりな きのふまで 波間にみえし 淡路(あはぢ)島山
【今日から春だというので すっかり霞んでしまったなあ。昨日まで波間に見えていた淡路島も 隠れてしまって】

巻第三 夏 歌 刑部卿頼輔(ぎょうぶのきょうよりすけ)歌合し侍りけるに、納涼をよめる
274 ひさぎ生(お)ふる かたやまかげに 忍びつつ 吹きけるものを 秋の夕風
【秋の夕風は楸(ひさぎ)が生えている片山蔭(やまかげ)に こっそりと吹いていたのに それと気づかなかったよ。】

巻第五 秋歌下 題しらず
440 あらし吹く 真葛(まくず)が原に 鳴く鹿は うらみてのみや 妻を恋ふらむ
【烈しい風が吹く真葛が原に鳴く牡鹿は、ちょうど葛が葉裏をみせるように ひたすら恨みながらも 妻の鹿を恋しがっているのだろうか】

巻第五 秋歌下 題しらず
451 龍田山 梢(こずゑ)まばらに なるままに 深くも鹿の そよぐなるかな
【龍田山の木々の梢がまばらになるとともに 鹿が山深くで落葉を踏んで音をたてているようだなあ】


巻第六 冬 歌 俊成卿家に十首歌よみ侍りけるに、歳暮の心を
695 なげきつつ ことしも暮れぬ 露(つゆ)の命(いのち) いけるばかりを思ひ出(い)でにして
【嘆きを繰り返しているうちに今年も暮れてしまったよ。露のようにはかないこの命が生きているということだけをこの世の思い出として】

巻第九 離別歌 別れの心をよめる
881 かりそめの 別れとけふを 思へども いさやまことの 旅にもあるらむ
【今日のお別れはほんの一時的なものと思っていますけれども、さあ、もしかしたら 死出の旅への本当のお別れになるかもしれません】

同  離別歌 登蓮法師筑紫へまかりけるに
884 はるばると 君が分(わ)くべき 白波を あやしやとまる 袖(そで)に懸けつる
【これから遠くはるばる筑紫(つくし)の地まで、あなたが分けていかれるはずの白波なのに おや、変ですね。あとに残るわたしが袖に懸けました。ああ、それは別れの悲しみのために流した涙の白波だったのです】

巻第十四 恋歌四 入道前関白太政大臣家歌合に
1308 わが恋は いまは限りと 夕まぐれ 萩吹く風の 音づれてゆく
【いかにもわたしの恋はもう終わりですと告げるかのように 夕暮 風が音を立てて 萩の葉を吹き過ぎてゆきます】

巻第十六 雑歌上 題しらず
1553 難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)にあさる 蘆(あし)たづも 月かたぶけば 声の恨むる 【難波潟で潮干の合間に餌をあさっている蘆辺の鶴も 月が傾くと潮が満ちてくるので その声は恨みがましいものとなるよ】

巻第十九 神祇歌 入道前(さきの)関白家百首歌(ひゃくしゅのうた)よみ侍りけるに
1883 神風や 玉串(たまぐし)の葉を とりかざし 内外(うちと)の宮に 君をこそ祈れ
【玉串の葉を手に取りかざしながら 神風の吹く伊勢の内宮外宮にわが君の千代八千代をお祈りするよ】

参考文献:『無名抄:現代語訳付き』 鴨長明 久保田淳(訳注) 角川ソフィア文庫

     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社