国産柑橘類(下)、ビザ三態


1) スケッチブックから〜国産柑橘類(下)

(1) パール柑(熊本産)

  文旦の一種で2個で1キロ。B6版スケッチブックに納めるための苦肉の構図。甘味と酸味がマッチして喉の渇きを潤してくれる。皮をピーラーで薄く向いて砂糖漬けに。残りはお風呂に浮かべると香りのよい文旦風呂に。


(2) セミノールオレンジ(静岡産)

  生産者には申し訳ない絵の出来上がり。失敗作でもとにかく載せる方針なので御許しを。カリフォルニアオレンジ顔負けの濃厚な果汁がたっぷり。生産者はジュースやゼリーも推奨しているが、私は櫛形に切ってひたすらかぶりつく。


(3) 甘夏(静岡産)

これからの季節は何と言ってもコレ、甘夏です。分厚い皮を身からきれいにはがすのは当方にとって難題なので、専らグレープフルーツの食べ方を応用。ワタも袋もすべて食べ切って残った皮は湯船に浮かべて甘夏湯を楽しむ。


2) ビザ三態

(1) アメリカ観光ビザ

私はこれまで三度ビザ申請をしている。最初のは1977年の年末年始を利用してのサンフランシスコ・ロスアンゼルス・ハワイのパッケージツアーに参加した時で、私にとっては初めての海外旅行であり、パスポート申請は自ら行ったがビザ申請はあまりにも複雑に思えたので手数料を支払って旅行会社に依頼して入手した(下図)。


このビザは、朱書きの「B2」で短期観光者用で、有効期間が1977年12月12日から1982年12月12日の4年間であることをしめしている。

ビザ申請代が勿体なかったので、安月給だった友人と私はこの有効期間内にできるだけアメリカ旅行をすることに決めて、1978年にサンフランシスコ/ロスアンジェルス、1981年にナッシュビル/ニューオリンズ/ボストンとGWを利用して駆け足旅行を楽しんだ。


(2) 東欧マルチビザ

2度目のビザ申請は、1995年の秋に11日間の日程でドレスデン/プラハ/ブタペスト/ウィーンを巡るパックツアーに参加した時で、この時は数か国を一つにまとめた「マルチビザ」であった。

このビザ申請には5〜6か月のパスポート残存期間が必要条件で、まだ3カ月も有効期間が残っていた私のパスポートは無念にも更新せざるを得なかった。

こういう事も含めて東欧のビザ申請は煩雑なので手数料を支払って旅行会社に一任することにした。そして、新規取得パスポートと直近に摂ったビザ用写真を同封して旅行会社に送ったところ、ハンガリーの審査官が「パスポートとビザの写真が同一人に見えない」とクレームをつけたと旅行会社から連絡を受けて愕然とした。

パスポート写真とビザ用写真の撮影時期は1か月も隔たっていない。ヘアスタイルを見れば同一人と識別できるはずであるが、撮影時の衣服の相違で同一人に見えないのが理由のようであった。ここで反論しても始まらないのでパスポート写真と同じ装いで写真を摂りなおして何とかビザを入手した(下図)。

私にとってこの出来事は、ベルリンの壁が崩壊して6年を経たとはいえ、まだまだ『東側』はベールに包まれているという印象を抱かせたが、実際に足を踏み入れた東欧は中世の街並みがあちこちに保存されてパリよりも美しく、人々は穏やかで優雅な風情をただよわせていた。 

(3) アメリカ学生ビザ

三度目のビザ申請は2004年5月に定年退職した私が、直後の6月22日〜8月20日を学期とするハーバードサマースクールに参加するために取得した学生ビザである。

40年近い会社員生活を終えるにあたって、何とかボストンの街で2カ月くらい暮らして、新たな隠居暮らしの門出にしたいと定年を迎える1年前から模索していた。それまで3度訪れたボストンで落ち着いた街並みと、そこで暮らす人々にすっかり魅了されていたのだ。

しかし、物価の高いボストンで安全性の高いシティホテルに宿泊し、食べ、散策して日々を過ごす滞在費と渡航費をを考えると、ささやかな老後資金への影響も無視できず逡巡していたのだった。

そんな私を見たハーバード大学院滞在中の若い友人の「サマースクールに参加すれば、屋根付・三食付・英語授業付で2か月間を安くあげられる」との言葉に深く考えずに飛びつき、自らアメリカ大使館に出向いて学生ビザを入手したのだった(下図)。アメリカ大使館でのいきさつは(http://d.hatena.ne.jp/K-sako+kankyo/20120320/1332249023


改めてこのビザを見ると、発行日が2004年4月28日、ビザ有効期間は2004年8月20のサマースクール終了日となっていて、向かって右側のアメリカ合衆国議会議事堂に並んで左側に大学の象徴であるジョン・ハーバードの像が見え、下段にはHARVARD UNIVERSITYの文字がくっきりと記されている。


あれから10年を経て振り返ると、何と無謀であったかと今でも冷や汗が出る。

たしかにカフェテリアでの食事は、農産国アメリカの面目躍如で食材は豊富、料理もスィーツもドリンクも食べ放題・飲み放題、乳製品のおいしさは日本の比ではなかったし、カークランド寮の広々としたスィートを独り占めして住み心地はよく、生活費(授業料を除く)は東京と比較しても格段に安上がりであった。

が、いかんせん、還暦を迎えた身には、世界から集まった記憶力・集中力・体力の横溢した18歳から35歳のクラスメートに囲まれてハードスタディをこなすのはホントにきつかった。が、達成感も格別であった。