描く・観る(1)風呂敷画学生?

 週に1度の頻度で絵画教室に通い始めて満1周年を迎えた。まずは基礎が大切と鉛筆デッサンから始めたのだが、1年経ても案外思うように描けないものだという思いと、鉛筆表現は奥が深いという思いの真っただ中にいる。

 先日、教室に着いて風呂敷包みを作業台に置くと「あら、お弁当箱?」とすかさず声がかかった。「残念でした!鉛筆箱です」と包みを開いて見せる。この様式は4H〜6Bの鉛筆を一覧状態にするための私なりの苦肉の策。

    

 ところが、直近の習作を仕上げるために急きょ7Bと8Bの鉛筆を加える羽目になったのだが、こちらは三菱鉛筆ではなくちょっと高価なSTAEDTLER製。

 

 因みに上図の風呂敷は歌舞伎座近くの「大野屋」、下図のは谷中の「いせ辰」で調達したもの。いずれも定年退職の折に関係者への感謝の気持ちを示すために買い揃えたものの中から手元に残したもの(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20071123)で、いせ辰の方は歌舞伎座通いの大切なお供だった(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20050623)。

 と、まあ、こうして私の『風呂敷画学生』の日々が始まったのだが、因みに「画学生」を手持ち電子辞書の広辞苑で引くと見当たらない。あれっ!「画学生」は死語になったのか、それとも、初めからそんな言葉はなかったのか!!!