2026-01-01から1年間の記事一覧

82歳の追想 (19) ポーランド一周遊旅行 1997 ワルシャワ ① ツアーメンバーの医療費が無料だった懐の深さ

私は、勤務先の1997年のリフレッシュ連続2週間休暇を活用して、5月19日出発の「ポーランド周遊12日間」のパック・ツアーに参加した。この時の顔ぶれは定年退職した夫妻3組と個人参加7名の計13名で、ポーランドでの国内移動は小型チャーターバス…

82歳の追想 (18) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑱ 「クリムト」と 「シーレ」に焦がれて

ウィーン滞在ではエゴン・シーレとグスタフ・クリムトの作品をじっくり鑑賞する事を楽しみにしていたのだが、折角のオーストリア・ギャラリー(ウィーンのベルヴェール宮殿内にある美術館)で、オーストリアの中心的な画家の作品と、特にクリムトとシーレのコ…

82歳の追想 (17) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑰  記憶の連鎖 ウィンナ・コーヒー → 喫茶「ラドリオ」 → 大手町から都電で通った頃の神保町

これを書くに至ったのは、私はウィンナ・コーヒーがどういう経路で日本に広まったのかを知りたくて、Webで検索していたところ下記の文章に巡り会った。 『日本では、コーヒーの上にホイップ・クリームを浮かべたものが、一般的に「ウィンナ・コーヒー」と…

82歳の追想 (16) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑯  ウィンナ・コーヒーとザッハ・トルテを味わう

今回のツアーでは、ウィーン市内観光にホテル・ザッハーのカフェでのコーヒータイムが設定されていた。 ツアーコンダクターに引率された私たちメンバーが豪華な内装のカフェに着席すると、メニューに目を通すまでもなく、私たちのテーブルには、ウィンナ・コ…

82歳の追想 (15) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑮ ウィーンの三重価格?

ウィーン国立歌劇場から宿泊ホテルに戻って皆で感想を述べ合っている時、40代と20代の母娘と私の乗った行きのタクシーだけが、他の二組の二倍近い価格を支払わされた事が判明した。 つまり、私たちの組だけが、タクシー・ドライバーからふっかけられたの…

82歳の追想 (14) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑭ ウィーン国立歌劇場で「薔薇の騎士」を観る

ウィーン到着の翌日、宿泊ホテルのロビーでツアーメンバーと寛いでいる時、ヨーロッパ駐在経験の豊富な定年退職した男性から、「この時季のウィーン国立歌劇場は毎日公演を行っているので、今夜オペラを見たい人がいれば、私がホテルのフロントを介してチケ…

82歳の追想 (13) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑬映画「第三の男」の名場面のウィーンのプラター公園の大観覧車の下をバスで通り抜ける

ツアーメンバーとブダペストの船着き場から乗ったクルーズ船でドナウ川遊覧を楽しみ、着船場から小型チャーターバスに乗り換えて窓からの景色を眺めていたところ、上方から大観覧車が目に入り、その時私はウィーンに来たのだと実感した。 そう、1976年の…

82歳の追想 (12) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑫ ドナウ川クルーズで国境を越える

私たちツアーツアーメンバーは次の目的地ウィーンに向かうために、各々が宿泊したマリオット・ホテル特製のランチボックスを手に、ホテル近くの船着き場からクルーズ船に乗った。 ブダペストの真ん中を流れるドナウ川は、ドイツ・オーストリア・スロヴァキア…

82歳の追想 (11) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑪ ハンガリー国立歌劇場で「カルメン」を

今回のハンガリー訪問では、オプショナルにオペラ「カルメン」の観劇が組み込まれており、オペラにそれほど馴染んでいない私でも「カルメン」は理解できるので、ツアーメンバーと共にハンガリー国立歌劇場に足を運んだ。 スペインを舞台にした「カルメン」は…

82歳の追想 (10) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑩ 敗戦からの復興 ブダペストと東京

「ドナウの真珠」と呼ばれるブダペストは、1873年にドナウ川のブダ側とペスト側が合併してハンガリーの首都として誕生した。 そして、1896年の世界で2番目の地下鉄の開通により、ブダペストは、歴史と近代性を併せ持つヨーロッパでも指折りの美しい…

82歳の追想 (9) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑨ エレガントにライトアップされた「ブダペストの鎖橋」

ハンガリーの首都ブダペストを象徴する「鎖橋」は、ドナウ川のブダ側とペスト側を初めて永久に繋ぐ橋として19世紀半ばに完成した。 橋の全長は375m、幅は16m、橋の両岸近くに建つ一対のアーチ状の主塔にかけられたロープに相当する構造が、自転車の鎖…

82歳の追想 (8) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑧ 私の「ブダペストの鎖橋」への細くて永い思慕

何故ブダペストに来たかと云えば、ドナウ川に懸る鎖橋に恋い焦がれていたからに他ならない。 長いと言うより、永い話を展開するなら、今から40年くらい前の日本がバブル景気に沸いていた頃、ある画商が西新宿のシティホテルで開催した絵画の展示即売会に私…

82歳の追想 (7) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑦ ホテル・ドンジョバンニ

プラハでの宿泊ホテルは、市の中心地から少し離れていたが、バス停など交通機関から便利な場所にある4つ星の「ホテル・ドンジョバンニ」だった。 そこで私は、せっかくの居心地の良い豪華なホテルの居住空間を、ただ、寝るだけの場所に使うのは馬鹿馬鹿しい…

82歳の追想 (6) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑥ プラハのカレル橋

(カレル橋で) プラハを流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋は、神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下の1357年に建設が始まり、ヴァーツラフ4世の統治下の1402年に完成した長さ515.7メートル、幅9.5メートルの巨大な橋である…

82歳の追想 (5) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ⑤ プラハのボヘミアン・グラス店にて

プラハの旧市街広場でゴシック様式やバロック様式の様々な建物を観光した後で、私たちはツアーコンダクターから天文時計の前に集まることで30分の自由時間を与えられたので、私は一人でぶらぶら歩きをすることにした。 パリやロンドンのように急ぎ足の観光…

82歳の追想 (4) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ④ プラハ城にて

(プラハ城の衛兵のパレード) 私が参加したパックツアーの次の訪問地、チェコ共和国の首都プラハでの市内観光はプラハ城からスタートした。 プラハ城は、かつては、ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であったが、今はチェコ共和国の大統領府が置かれてい…

82歳の追想 (3) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ③ 崩壊したベルリンの壁の前で

ベルリンの壁崩壊は、1989年11月9日に東ドイツ政府が旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことで、その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し、混乱の中で国境検問所が開放され事をきっかけに、…

82歳の追想 (2) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ② ドレスデンのマイセン磁器工場見学

1995年9月13日から9月23日の旅程で成田を出発した「バロック街道とドナウ川周遊」パック旅行での最初の宿泊地はドレスデンだった。 そして、到着の翌日、私たちはドレスデン市内観光の後にマイセン磁器工場を見学した。 当時の私にとって、陶磁器…

82歳の追想 (1) バロック街道とドナウ川周遊旅行 1995 ① マルチビザ

1995年の2週間連続休暇制度を活用して、私は9月13日から9月23日に亘るドレスデン/プラハ/ブタペスト/ウィーンを巡る「バロック街道とドナウ川周遊」パックツアーに参加する事にした。 そして、このツアーでは、「マルチビザ」申請が必要であり、…

80歳の追想 (74) ポルトガル周遊旅行 1994 (余話) 映画「リスボン物語」で知った新しいファド

映画「リスボン物語」は、「リスボン市がモチーフの映画を」、という同市の依頼に応じて、ヴィム・ヴェンダース監督が1995年に撮った作品で、リュディガー・フォーグラー扮する映画の録音技師が、手回しカメラでリスボンの街をあちこち撮影するなかで、…

80歳の追想 (73) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑩ 旅先で買った花瓶、絵皿、土鍋たち

今回のポルトガル周遊旅行の帰国に際しての頭痛の種は、旅先で買った花瓶、絵皿、土鍋が重くて嵩張るだけではなく、壊れやすいので機内持ち込み手荷物として無事に持ち帰ることだったが、苦労して持ち帰っただけの価値はあった。 花瓶は私の70歳の誕生祝い…

80歳の追想 (72) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑨ リスボン最後の晩餐  異国で聴く「さ・く・ら」の調べ

ポルトガル最後の夜は、リスボンでも老舗の、ファド演奏付レストランでのディナーで、私たちツアーメンバーが到着した頃には店内のテーブルは観光客で満席だった。 海に囲まれた日本とユーラシア大陸最西端に位置し西と南は大西洋に面したポルトガルは、共に…

80歳の追想 (71) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑧ リスボンで出会った忘れられない子供達

今回のポルトガル周遊旅行で特筆すべきは、チャーミングな子供達との出会いだった。とりわけリスボンで出会って心を和ませてくれた子供達は、あれから30年を経た今でも、思い出す度に頬が緩み、あの子達は今どうしているかしらと、偲んでいる。

80歳の追想 (70) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑦ リスボン駅からローカル線で知らない海辺の街へ

私たちの「ポルトガル周遊ツアー」の最終地のリスボン滞在2日目は、夜にファドのライブを聴くレストランのディナーが予定されているだけでそれ以外は自由行動だった。 そこで、自由時間は、前夜のリスボン散歩を共にした若い女性と相談して、リスボン駅から…

80歳の追想(69) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑥ リスボン 夜の散歩で迷い込んだ子供達のダンス舞台

子供達のパフォーマンス 観客席で出会った幼児と 私が参加した「ポルトガル周遊旅行11日間」のパックツアーもいよいよ最終地のリスボンに到着した。 リスボン滞在は3日で、初日は「ベレンの塔」「発見のモニュメント」「ジェロニモス修道院」などの主な観光…

80歳の追想(68) ポルトガル周遊旅行 1994 ⑤ ナザレ 鰯の塩焼きを3匹も平らげた漁師町

(ナザレの子供達) ポルトガルのナザレ(NAZARE)は、夏にはポルトガル国内だけでなくヨーロッパ全域からバカンス客が訪れるリゾート地であり、砂浜が続く美しい港町であり、さらに様々な魚介の捕れる漁師町でもあり、当時も漁師の既婚女性の黒衣と頭を覆う…

80歳の追想(67) ポルトガル周遊旅行 1994 ④ 世界最古の大学のひとつ コインブラ大学

ポルトガル第三の都市「学ぶ街 コインブラ」に創設されたコインブラ大学は、当初ディニス王によって1290年にリスボンに創設されたが、その後1308年にコインブラに移転されて、ボローニア大学、オックスフォード大学、パリ大学などと共に世界最古の大…

80歳の追想(66) ポルトガル周遊旅行 1994 ③  宗教都市ブラガのキリスト教巡礼地の教会

「リスボンは楽しみ」、「コインブラは学び」、「ポルトは働き」、そして「ブラガは祈りの街」と称されるように、中世から近世にかけてポルトガル第一の宗教都市として栄えたブラガの街には数多くの教会が見られるが、その多くは15世紀から16世紀にかけ…

80歳の追想(65) ポルトガル周遊旅行 1994 ②  ポルト ポートワイン工場見学とテスティング

私が参加したポルトガル周遊パック・ツアーの最初の訪問地は、ポルトガル北部の港湾都市で、首都リスボンに次ぐ第二の都市のポルトだった。 ポルトは、ポルトガル北部を流れるドウロ川北岸に築かれた坂の多い美しい街で、ポートワインの産地として良く知られ…

80歳の追想(64)ポルトガル周遊旅行 1994 ① 勤務先の寛大な休暇制度導入で実現した11日間の海外旅行

私の古いパスポートには〔14-05-94 PORTO〕と、〔21-05-94 LISBOR〕のスタンプが押されている。 そうなのだ、私は1994年5月14日にポルトから入国して5月21日にリスボンを去る機中1泊を含めた11日間のポルトガル周遊旅行に参加したのだった。 正直に…