独り善がり読書(12)2006.7.11「ダ・ヴィンチ・コード」ダ・ヴィンチの真意は如何に「最後の晩餐」の解釈

六本木の森アーツセンターギャラリーで「ダ・ヴィンチ・コード展」を見て、いくらか心を残していたのだが、その数日後に近所のbook-offのカウンターで、角川文庫の「ダ・ヴィンチ・コードダン・ブラウン著の上・中・下 各巻400円の値札を見て、思わず手に取り、余りにも面白いので、一気に読んでしまった。

 

 

 そうこうしている内に、2006年7月9日付日経新聞日曜版の「レオナルドの目①劇場空間の創造」と称する記事が、「最後の晩餐」を取り上げていた。

 

 

記事曰く「イエスの口は静かに開く。食卓に崩れ落ちるユダはイエスを直視し、ヨハネの耳元でひそひそ話をするペテロはナイフを握り、今にも襲い掛かりそうだ」と。

さらに、「最後の晩餐」における世界一の専門家といわれる、ミラノ工科大学教授を始めとする、錚々たる人たちの話をドラマチックに組み立てている。

 

 しかし、私が、ここで、話題にしたいのは、「最後の晩餐」を描いた、ダ・ヴィンチの真意をどう解釈するかである。

 

日経新聞の「最後の晩餐」のドラマの解釈は下記のように通念にそったもので、

 「あなた方の内の一人が私を裏切ろうとしている」、死を悟ったイエスの一言で、12人の弟子に動揺が走り、銀貨30枚でイエスを売ったユダは、動揺して机上に崩れそうになり、イエスを凝視する。ペテロはヨハネに顔を近づけ裏切り者が誰かと聞き出そうとしていて、今にも切りかかろうとナイフを構えているから、ユダは気が気ではない、と。

 

しかるに、「ダ・ヴィンチ・コード」では、「最後の晩餐」の解釈を、

 イエスの隣に座っているのは、ヨハネではなく、イエスの伴侶の、しかも、イエスの子供を宿していたマグダラのマリアであり、イエスはこの時、既に教会の未来をマリアに託していた。マグダラのマリアは、これまで、バチカンの陰謀で、賎しい娼婦にされてきたが、実は王家の直系の、身分の高い女性であった。

ペテロはその事で腹を立てていたから、脅かしつけるような様子で、マグダラのマリアに迫り、刃の形をした手を彼女の首に突きつけている。さらに、奇妙な事には、手の数を数えると、誰の手でもない謎の手が短剣を持っている。

 

 

「最後の晩餐」、「ダ・ヴィンチ・コードダン・ブラウン著 角川文庫の中より。

 

 つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチはイエスとマリアの結婚とマリアとイエスの間に生まれた子供の存在を知っていたばかりか、バチカンの陰謀から、イエスの子孫を守る為の組織・シオン修道会の責任者でもあり、その組織は、今なお、営々と存在している。

 

 因みにシオン修道会の歴代総長には、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1510~1519)の他に、サンドロ・ボッティチェッリ(1483~1510)、アイザック・ニュートン(1691~1717)、ヴィクトル・ユゴー(1844~1885)、クロード・ドビュッシー(1885~1918)、ジャン・コクトー(1918~1963)等、錚々たる人々が名を連ねている。

 

 本来なら、バチカンがこの作品のヒットを恐れるわけですよね。しかし、作者ダン・ブラウンの謝辞を読むと、ルーブル美術館、フランス文化省、プロジェクト・グーテンベルク、フランス国立図書館、ロンドン記録教会、ウェストミンスター寺院記録部を始めとする、錚々たるアカデミックな機関がこの著書のために協力をしている。

 

キリスト教に無縁の私ですら、封印されたもう一つの真実を語る時が来たのかもしれない、と、思わせるだけの説得性のあるストーリーが、「ダ・ヴィンチ・コード」には、スリリングに展開されている。

 

 ともあれ、10年近い労作の末に結実した、この、知的好奇心に満ちた、娯楽としても一級の「ダ・ヴィンチ・コード」に脱帽するしかない。