後白河院と寺社勢力(25)寺社荘園(4)寄進荘園の増大

 前回は、本来国家に支えられた官営大寺院が律令国家の崩壊と封戸の減少がもたらす国家財政の破綻により荘園拡大に乗り出さざるを得なくなと述べたが、
http://d.hatena.ne.jp/K-sako/

 これは何も大寺社だけでなく、摂関家を初めとする貴族も同様であったが、11世紀の摂関政治全盛期には、地方豪族や有力農民から中央貴族や大寺社への所有地寄進が盛んとなり、大寺社も摂関家や有力貴族と同様に権門と称されるようになった。


ところで荘園は以下の二つに分類される。

○自墾地系荘園=権門家自ら荒野を開墾した荘園、

寄進地系荘園=私営田領主(※)が権利の一部を保留して所領を権門家に寄進した荘園(この場合は完全に手放すわけではなく、権門貴族や大寺社を本所あるいは領家という名義上の領主にして自らは荘園の下司預所となって所有権と領主権の一部を保留した)。


 それでは、どのような人々がどういう理由で大寺社に荘園を寄進するのかをざっと見ておきたい。

(1) 権門貴族

 摂関家藤原氏は氏の長者として、氏寺の興福寺氏神の春日社を中心とした大寺社に、最上級の権門として寺社勢力と連携を保つために相応の荘園寄進をし、彼らに次ぐ朝堂に列する公卿達もそれなりの寄進をして寺社との繋がりを維持したが、それだけでなく、限りない権勢欲と華麗な奢侈生活の追求という現世の利益実現のためにも寺社信仰を深めそれなりの寄進をせざるを得なかった。  

(2) 地方豪族(在地領主・在地武士)と有力農民

 ・ 没落する運命を中央の権門や大寺社の政治的な保護によって食い止めるために所領地を寄進する在地領主。

 ・ 強欲な国守(国司)の収奪から自分の所領地支配を守るために、大寺社の宗教的権威の傘下に入る地方豪族と有力農民。

 ・ 有力武士団(平氏または源氏)からの支配を逃れるために、自らすすんで大寺社に所領を寄進し、自らも寺僧として寺社勢力に加わる畿内の在地領主。

 ・ 大和の農村や高野山周辺の村々では、村内の主だった農民が連盟で自分たちの所有地を大寺社に寄進しただけでなく子弟を寺に送り込んだ。

(※)私営田領主:広い田地を所有して直接自分で経営する大土地所有者。具体的な経営方法は、現地に荘所(経営事務所)を設け、そこに鋤や鎌などの農具を備え、倉や屋舎を建てて収穫した稲を収納した。


上図は藤原氏氏神とされる春日社の南の楼門
(続日本の絵巻14「春日権現験記絵下」中央公論社より)