矯めつ眇めつ映画プログラム(42)「ザ・インターネット」

 今や生活インフラとしてなくてはならないインターネットだが、国家陰謀のプログラムを入手したことから命を狙われ、自分の個人記録を全て抹消されて国家の保護さえ受けられない女性が、一人で完全と悪に立ち向かう姿を描いたのが、アーウィン・ウィンクラーが1995年に監督した「ザ・インターネット」である。


 ロスアンジェルスでコンピューター技術者として働くアンジェラ(サンドラ・ブロック)は、得意先の男性からプログラムの中に国家機密のデーターが含まれていたと相談され、FDでそのプログラムを渡されるが、その直後に彼はバカンスに向かった自家用飛行機で事故死する。


 そして、アンジェラもバカンスの滞在地メキシコで危険に晒されるが、何とか難を逃れて戻ったロスアンジェルスの自宅では、彼女が住んでいる痕跡は跡形も無く消されていたばかりか、彼女の身分を証明する個人情報も全て盗まれ、挙句、他の女性が彼女になりすまして得意先のオフィスで働いていることを知る。


 顧客先男性の自家用飛行機による事故死、風光明媚な海を背景に豪華ヨットで繰り広げられるアンジェラとハンサムな悪党との死闘、心臓病の元恋人の医療情報改ざんによる死、偽のFBIと、次々に繰り広げられる派手な仕掛けで見所は少なくなかったが、ネタが割れてみると通り一遍の陳腐な筋立てだった。


 しかし、なんと言っても画面からはリンゴのマーク、Macが溢れ、事件解決の山場となるコンピューター見本市もMacworld Expoの会場とおぼしく、当時はPower Bookマニアで、幕張のMacworld Expoにもせっせと足を運んでいた私には大いに親近感を抱かせてくれる映画であった。FDを介してデーターを交換していたのも懐かしい。


 ところで、この映画で私が一番怖いと思ったのは、デジタル化されて国家に一元管理されたアンジェラの個人情報が盗まれた時、彼女が彼女である事を証明してくれる者が誰もいないと言う場面。アンジェラの近所のオバサンは彼女など見た事もないと言い放つ。オバサンは別に悪党に加担していたわけではなく、実際に彼女を見る機会が無かったのだ。


 一日中家に籠ってパソコンに向かい、食事はPCから宅配ピザを頼み、ゴミは真夜中に出し、隣近所と挨拶も交わさない、こういう生活をすごしていると、自分の個人情報を盗まれた時、自分を証明してくれる人がいなくなる。


 ましてや、昨今のように、個人情報保護に過剰に反応して、マンションの郵便受けや表札にも個人名を出さない人が増える状況にあって、全ての情報がネットワークで一元管理される時代に住む私達としては特に肝に銘じておきたい場面であった(写真はプログラムから)。